開かずの踏切の遮断機 

JR東日本、仙石線は鉄橋から線路から橋脚から車両、そして駅までも跡形なく壊されていました。

勿論復旧は程遠く現状バスの振替輸送に頼っているのが現状です。

一部区間、線路を内陸に移設して復旧することが決定していますので、その区間内にあるここ宮城県東松山の野蒜(のびる)駅(場所はここ)については約500メートル内陸部に新設されることになっています。

2015年度内の全線復旧を目標として工事をすることがJR東日本から発表されていますが簡単に路線を設定することは難しいでしょうね。

 

 この野蒜駅で待ち合わせたボランティアの門馬さんは地震前までは民宿のおかみさん。今は民宿は流されて無職とのこと。

 

 地震当初野蒜駅付近にあった電車車両は当然停車。

動かない電車のために各山間部に繋がる踏切は遮断機が降りたままになって踏切前は数珠なりに車両が連なったそうです。

そこへあの津波がやってきて並んでいる車両をすべて飲み込みました。

全部で7回の津波の襲来を受けたとのこと。

それも一番最初のヤツが比較的小さいので「何だ大したこと無いな」の油断と「勝手な避難解除」の心を生み、次に来る大きな津波に多くの人々がのみ込まれていったそうです。

 

 海岸線近くを走る踏切の遮断機についてひと工夫する必要がありますね、JRさん。

 

 踏切を「無視」して走った方たちはさらに数百m山側にある野蒜小学校(平坦部)の体育館に逃げたのですがここも避難所としての体をなさずあの悲劇がおこりました。

40余名がこの体育館内で亡くなったとのこと。

小学校(⑥枚目)の屋上に上がった生徒たちは助かったもののその一部始終を目の当たりにしたそうです。

体育館の時計はその時の時間を指したまま止まっていました。

⑦がボランティアの方の民宿があった場所、⑧がその前に政府災害復興資金により建設完成して稼働を待つのり工場。

⑨は地震当日小学校の卒業式後の謝恩会が開催されていた「かんぽの宿松島」。建物の形状が円形で津波の威力を分散させてここにいた子供たちは助かったそうです。海岸とは目と鼻の先なのですが。(駅よりもずっと海岸より)

⑩は本堂の流されたお寺の跡。 

 

野蒜周辺と野蒜小学校に避難している人たちが映っている空撮画像はこれ。 地上画像 ともにYouTube。