蓮如さんが真宗門徒のあるべき姿を簡単に記した「改悔文」(かいけもん)冒頭の部分です。
「もろもろの雑行~を振り捨てて」とはただただ一心一向に阿弥陀如来一仏をたのんで他の諸仏諸神、余の功徳善根と呼ばれるものに心をかけない、ということです。
そのような心構えに
「阿弥陀にたすけられている身であるということが身に染みて、この仏恩こそおかげ様・・・ありがたいことなのだよ。よっしゃあ、これから命の続くかぎり気張っていきたいね。」といったところでしょうか。
先週の日曜日にやってきたツバメのヒナはみるみる元気になって黄色だった口ばしも白くなりました(最初の2枚の画像が来た翌日のもの)。
燕尾服の尾も小さいながらも何とかわかるようになりました。
ツバメと給仕人の関係はなんだか我らと阿弥陀の関係に似ていると思いました。
決してツバメに対して私が「仏である」というのではありません。
ツバメの様態が阿弥陀さまに救われるべき姿であってこれこそが「絶対他力」。
そして「絶対信頼」「すべておまかせ」の形なのだなと。
無条件に目の前にいるものが親様(よく仏の譬えとしてつかわれる言葉です)の如くに何を放り込まれるかもわからないはずなのにこれ以上開かないくらいの口を開けて催促します。
全幅の信頼において相手にお任せするのです。
相手が親様であることに一切の疑問も持たずに。
これが一糸の惑いも無い、一心一向、絶対他力の信心なのですね。
これこそわれらがお念仏をする時の態度と同様なのです。
その日、小さきものの信心は成就されたのでした。
本日、大空に羽ばたき無事巣立ちとなりました。
小鳥を持ち込んでくれたお宅にも一報しました。感謝を込めて。
可愛きものよ、しばしのお付き合いありがとう。楽しかったです。
(本当は夕方、陽が暮れるまでベンチに寝転がって待ちましたよ。
しばらくの間は同じような姿が見えたらきっと目で追ってしまいますね)
今朝、家の中では蝶々のような優しい羽ばたきで、人の肩から肩へ飛び回っていましたが、突然「本能スイッチ」が入ったのか(きっかけはカラスの声と羽音でした)一気に本堂屋根中段まで上昇したあと南の空に消えていきました。
カラスの羽音がきっかけとは、まるで一休禅師の様。
若き一休は「エライ人」になるよう慕われ期待されて修行を積んできましたが、ある日カラスの鳴き声を聞いて悟りました。
『そうだ「エライ人」は民には居ない、むしろ「エライ人」というのはロクでも無い輩なのだ。そのことこそ皆に知らしめることなのだ』
坊さんの世界も政の世界も。
コメントをお書きください
小山昭治 (水曜日, 08 8月 2012 08:51)
8月4日の夢舞台の片づけが終わり、帰ろうとしたとき
燕の雛が落ちているのに気づき拾い上げました。
私には無すすべもないけれど住職のことを思い出し
翌朝育ててもらおうと思ったのですが、朝見ると
死んでいました。これも運命と思いました。
その巣からは、以前にも1羽落ちていて、職員が育てましたが
1週間ほどで亡くなりました。
500年、1,000年のスパンでの大地震を気にして
高台へ住んでも大地震の後200年、300年経るとそのことを覚えているでしょうか。
すべて生かされて、淡々と運命の通り死んでいく。
燕の子も同じで生かされて生きるもの、落ちて死ぬ者。
それなりの命だと思います。
それならば「ろくでもない輩」が一番かな。
今井一光 (水曜日, 08 8月 2012 09:39)
ありがとうございます。
真宗的に解釈すれば本当は「ロクでもない」のは=悪業煩悩を無始曠劫より重ねに重ね、それに気が付くことができた「自分」のことです。
しかし往々として人間というものはトントン拍子に物事がはこび、ちやほやされて何事もうまくいきそして「慢心」になります。
慢心はすべてにおいて自分主体であって己の行いを省みる姿勢が無くなってしまいます。
一休さんの如く仏教的にいえば一番に嫌われるところでしょう。
一気呵成にブログに記すとはいえ、すべてがそうだというのはこれまた慢心の思慮無き言葉でありますが、やはり経済的優位、社会的優位、人の上に立たんとする権威の人がそのように庶民の意見からかけ離れてしまうのは歴史を見て「鉄則」なのです。私も含めてその道を辿るのは必定であります。
幸いに我らは「歴史」を省みるチャンスを頂いています。
その機会をいただいたからにはそれを生かして時に反省して我らも生かされるというスタンスが重要なのだと思いますが・・・
今朝のオリンピック、サッカーの「負け」の因などは慢心以外の何でも無いと思います。パスサッカーに自惚れてフィールドを大きく使う速さを織り交ぜることができませんでした。案外攻撃がワンパターンで、気転だとか臨機さが見えませんでしたね。まぁ実力と云えばそれまでですが。
これからヒナを拾ったら夜間でもいいのでご一報ください。
ツバメの場合、親は一番育ちの悪い奴を蹴落とします。
よって人間が親切心で巣に戻しても殆ど無理と聞きます。
また、ヒナは食欲旺盛で落ちた当初からひもじい状態ですので即座に食べ物を入れてやらないと、ダメだと思います。
まず夕方拾って翌朝まではもたないことが多いです。
自然の法則を無視しているとお叱りもうけましょうが「命をたすけたい」という気持ちは人間だれしも持っています。
親が放棄した命を貰い受けることは悪くないと思っています。
小鳥が落ちていたら私にチャレンジさせてください。
やるだけのことはやってみたいと思います。
連絡いただいたらスグにでも取りに伺います。よろしくお願いいたします。