六文銭 冥銭 冥王星

「六文銭、冥銭」と云えば永楽銭の事を差します。ただし私が葬場にてお目にかかるのはスチール製の台にこびりついて金物を使って剥がされ、ひしゃげた5円・10円硬貨ばかりで、もちろん「永楽銭」を見たためしがありません(溶けたり破損した硬貨は流通できませんので隅の方にまとめて置いてあります)。しかし現流通硬貨ですからねぇ。

まぁどうでもいいことですが当時の1文は10円より4~5倍換算とのことですから6枚で60円、コレはディスカウントしすぎですね。

 

地獄を振り分ける「奪衣婆」(だつえば―六文、銭を支払えないと身ぐるみ剥がしてそれを計って罪の重さとし三つの悪業により落ちる地獄~三悪道~の道三途に仕分けられる)に地獄、餓鬼、畜生の地獄にそれぞれ落とされます。

ケチだと思われますね故人にも「奪衣婆」たちにも。 

かといってホンモノ(永楽銭)を六枚(文)事前に用意しておくのも面倒です。

とにもかくにもつまらぬことはやらないことです。

確か沖縄ではそういう時用に紙で作ったおカネが用意されてます。

よほど合理的ですね。 

 

 永楽通宝は明時代の第3代皇帝の永楽帝の世に作られたのでその名が付けられました。日本には鋳造技術が発達していない時代、室町時代にその明国より膨大な量を輸入しました。それを真似てメイドインJapanの火が灯ったのです。色々な事を「大陸」のおかげで成長させていただきました。

 

つい最近までですね日本が技術であの国に優位性を誇っていたのは・・・それ以前は圧倒的技術力と文化を一方的に取り入れてこれまで我が国が文化を育んできたことは周知の事実。

一旦は日本がそれら技術を逆転したかに思えましたが最近は再逆転されこれからはずっとメイドインチャイナ繁盛の時代になるでしょう。

それこそ「冥途インJapan」です。 オヤジギャグ失礼・・・

 

 永楽銭は特に北条氏など東国の大名小名が領内の統一通貨として基準銭としたので「永高」という表示方法が生まれました。

土地の収穫高を通過単位「貫」に換算させて永楽銭で納めることに発展し貨幣の流通、市場経済の発展に貢献しました。

 

 真田の六文銭の旗印が斬新でオリジナルの如くイメージがありますが、この永楽銭をかたどった家紋等はそれまでにも散見でき、真田家が取って付けたパクリの様な気もしないではありません。

あの信長の旗印にも「永楽通宝三枚縦並び」というのがありました。

 

さて、六文銭の別名「冥銭」と呼ばれる所以が上記のようなことなのですが その「冥銭」の「冥」について記します。しっかり「六」の字が入っています。

 

冥途・冥土を辞書で調べると「死者の魂が迷い行く世界」とあります。

イコール「死んだら行くところ」と一般に解釈されているようですね。

上記の意味では今一つその場所の概念がピンときませんので「冥」の使われている言葉を1つあげてみましょう。

 

数年前「惑星」の仲間から外された「冥王星」という準惑星があります。(2006年まで太陽系第9惑星)

「水金地火木土天海冥」と覚えたアレです。得意になって覚えましたが世の流れに新発見もあって学問の世界も「常は無い」ようです。

また「Pluto」と呼ばれ最近我が国に特にお馴染みとなった「プルトニウム」と語源は同じです。ローマ神話で冥府(死後の世界)の王の名で、太陽系最深部の暗闇に存在するイメージだそうです。

ちなみにあるアジアの国では閻魔さんの閻で「閻王星」。恐怖や畏怖のともなう最果ての地というイメージが伝わってきます。

 

というわけで冥王星の世界=冥土と準えることとすると・・・。

窒素が90%メタン10%の大気で酸素なし。それも1年の半分の間は凍っているそうです。太陽から遠いので極寒の暗黒世界です。

 

1年といっても冥王星の公転周期は90533日、1日が153時間。

気温は-233℃。プルートならではの場所です。

 

 こんな恐ろしくてどうにもならないような地を「冥土」のイメージだとしたら・・・。「死んだら行く場所である」というのでは「冗談じゃない」ですね。

  

 浄土真宗には、その名の如くもとより浄土へ向かうことは必定です。

よって「冥土という場所には行かない」ので、「御冥福を祈る」などという言葉はありません。すこしばかりその言葉が「たかぴー」にも聞こえますしね・・・

 

その言葉を使用する方々は本当に「冥福」の何たるか御存知なのでしょうか、疑いたくなります。ご丁寧にも頭に「御」までつけて。

(イメージだけで捉えて申し訳ありません。キリスト教を除く他宗では普通に使用されてます。)

しかし、ご門徒さまの葬儀の中にも、弔辞、お別れの言葉の中に出てきますね。

そんなにこだわるべきではないのでしょうが、あまりにも安直にその言葉が使われますので・・・ 

 

どう考えても冥王星のような環境に行かされて、そこでの生活の幸福(→冥福)というもの(冥界の福なんてあるワケない)が一同に祈られるなんてことは故人をバカにしている様な気がしてなりません。

では「ご冥福」では無いなら何?と言われる方もいらっしゃいましょう。

私なら「心よりお悔み申し上げます」とこうべをたれます。

まずは心が入っていなくては何にもなりませんが・・・

 

天体の画像は冥王星の手前の海王星。

長男・次男の名(海璃と海嵐)、当山「海の如来」さんにちなんでの海王星です。PCのデスクトップに使ってます。