「上を見な 身の程をしれ」 五字七字の戒め

三河一向一揆時代の家康の馬印の「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)が画像左になります。「八字」とも呼び戦場等で自分の位置を示し、大将の存在を強調して味方の士気を鼓舞するために掲げられました。

この図は姉川合戦図屏風の一コマですが、四字ずつ分割されたもので1枚は裏から見える図、凝ってます。その画像の中下に「五の字」が見えます。

  

「五」は家康の好きな数字で「使い番」として大将の指示を的確に各部署へ伝達する機敏で利発な家康近習のエリートの旗印です。

「五」は他に「伍」や「互」の意がありますがその「五」好きの家康がそれを好んで使用したのは、「五字七字の戒め」にちなんだのかも知れません。『五字にていはばうえをみな』ですね。

 

「汝等身を保つに肝要の語あり、五字にていはば、うえをみな、七字にていはば、みのほどをしれ、汝等是を常に忘るべからず」

 

真宗風に受け取れば「あなたはあなた それでいい」でしょうか。

卑下することも無く欲に駆られて分限を越えることなく我が身、分相応の生き方をしていきたい、ということですね。二枚目の画像は家康、次世代の馬印、「金の扇に日の丸」です。

 

さて三枚目の画像は前2つ以上に世間様に流布されている旗印、真田の

「六文銭」です。

 

江戸時代に入って真田信繁(幸村)の絶大なファン層によって人物そのものが英雄化されたと同時にその旗印、通称六文銭(ろくもんせん)は大いに知られるようになりました。

六連銭(ろくれんせん)六紋連銭(ろくもんれんせん)が正式名です。

また、「冥銭」とか「六道銭」とも呼びます。

  

六道とは六道輪廻の六道で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道の六つの「迷い」の世界です。誤解しがちになりますので付け加えますがここでの六番目の天道も迷いの世界の一つです。一瞬のうちに他の世界に迷い移ります。

  

「六」は家康の「五と七の戒」でいえばその間の数字ですが「迷冥」の印。

四十九日の法要で譬えれば「七」になりきれない「六」。

仏教の世界では六じゃあダメと言われていました。七でなくては・・・。

初七日、ふた七日、み七日・・・なの七日。七×七が四十九日で満中陰。

七日を七回過ごすこと(故人は都合七日おきの七回の審問合格により)無事に成仏できましたという記念日。

 

 四十九日は今では御納骨の日にちと解釈されますが我等、真宗門徒にとってはその意とあの時の悲しみの場に同席した縁者が「一同再会してその後のそれぞれを確認しあう日」としての受け取り方以外に他意はありません。

 

ある宗旨ではこの日以降を正式な成仏(じょうぶつ)としてあるいは、仏の歩みのスタートするとも聞きますが、真宗門徒の場合、そのタイミングは人間の「生死」に関係なく「仏」として受け取ることが、すでにできている身と心を成就しているからです。

余談ですが、そのような理由からいつでも「御仏前」の文言を使用します。ここでも「霊」の考え方はありません。

 

当地区で相変わらず続いている慣例というか近親者に言われてなのかその意を知らずに行っているのだと思いますが、御棺の中に小銭を入れることがあります。おそらく例の意- - -三途の川の渡し賃でしょうね。

真田は六文銭のその意として「死をも厭わぬ」闘争心で戦うという全体鼓舞の意志表明でありその心意気がカッコ良かったわけです。

 

私もこの葬場のイベントには違和感がありますがあの特殊な雰囲気の中、「する必要のないことを一から説明して止めさせる」などということは到底できずにただ黙って手を合わせるだけなのですが。

 

そもそも貨幣を火葬炉に入れる事は「貨幣損傷等取締法」に抵触する歴とした犯罪です。その旨、行政は掲示板等で知らせていただければ有り難いのですが。 担当者が後からくっ付いたその金属を剥がすのに相当労力がかかっているのが実情の様です。

 

繰り返しますが真宗ではもう、とっくに三途の川を渡りきっていますので賃料は不要なのですよ。無意味なことはやめましょう。

 

 仏光照曜最第一  光炎王仏となづけたり

   三塗の黒闇ひらくなり  大応供を帰命せよ    浄土和讃