「波っこ」のついでに

「波っ子」さし絵
「波っ子」さし絵

「家康の隠れ井戸」は旧榛原町のお話ですが、旧相良町の話として「波っ子」に掲載されている当山、大澤寺の阿弥陀様についての記述を紹介させていただきます。

 

海から出た如来像

むかし、波津(はず)の村に藤六という漁師が住んでいた。

六人きょうだいの末っ子で、貧乏な暮らしだったが、毎日仏様を拝んでいる心の正しい若者だった。

ある年の暮れ、もうすぐお正月だというのに、時化でまったく魚が捕れず、漁師たちはみな仕事を休んでいた。

だが、藤六は一日でも漁に出ないと、その日の暮らしにも困るので古い小舟に乗って一人で漁に出た。一日中網をおろして漁を繰り返したが、さっぱりえものにあたらなかった。冬の日は短くて、あたりはもう薄暗くなったので

「がっかりだが、これでしまいにしようか」と一人つぶやき、網をひきながら、海をながめると、不思議な光にふと気づいた。

その光は「愛鷹岩」(あしたかいわ)のそばで、海の底の方から差してくる。

「何だろう?」藤六は気味わるく思いながら、その日は家に帰った。

次の日も、またその次の日も海の底から光が差してくる。

 はじめは驚いた藤六もなれるにつれて、その光がだんだん清らかで尊いものと思うようになった。そして舟の上から、光るたびに両手を合わせて一心に拝んだ。すると、それから網を入れ、引き上げるたびに、網も破られるかと思われるほどの大漁が続いた。

「ありがたい ありがたい」藤六は大喜びで

「これでいいお正月がすごせるわい」と、なお漁にせいをだした。

 この様子はすぐ他の漁師に知れて、みな不思議がった。

「こんな時化続きの海であんなに漁のあるはずはないわけだが」

「貧乏な藤六に限って?」

みんなはどうも合点がいかない。漁師仲間の一人、源七は藤六の家を訪ね、それとなく聞いてみると

「俺の貧乏を神様が救ってくれるのかな」と言いながら、あの不思議なことを話した。これを聞いた源七は

「そんなばかなことが?」と思いながらも

「よし、俺が見届けてやろう」と、その夜藤六の小舟のあとをつけて沖へ舟を出し、息をころして待っていた。

 すると突然海の底から、さっと光がさしたのに気付いた。藤六を見るとその光に向かって手を合わせて拝んでいる。こっそりその様子をみていた源七も真似をしてさっそく手を合わせようとした。そのとたんに、

「う~む!」と大きい不気味なうめき声を耳にした。源七は度胆を抜かれてそのまま舟の中に気絶してしまった。一方藤六はいつものような大漁に舟を魚でいっぱいにして、意気揚々とひきあげてくる途中、おぼろ月に照らされて、一艘の小舟が漂流しているのを見つけた。

舟を漕ぎ寄せてみるとあの光のことを話してやった源七が気を失っている。

 驚いてその舟に乗り移り源七を自分の舟に移し、家に連れ帰って介抱した。ようやく気が付いた源七はあの不気味な声を藤六に話した。藤六は

「俺にはそんな声は聞こえなかったがなぁ」とは言ったもののなんだか気味が悪くなって怖気づきそれからしばらく漁を休むことにした。

 やがて時化は収まり穏やかな海になったが、村の漁師たちは不思議な光とうめき声を恐れて海へ出ようとする者は誰もいなかった。

「愛鷹岩には雷さまが住んでるぞ」「それは、せんころ落ちた雷さまかな」とおかしな噂もたつようになった。しかし、村の漁師たちはいつまでも怖がってばかりいるわけにはいかない。みんなで集まって相談したすえ

「いったいあの海中で光るものは何かなぁ」ということで、それを調べてみることになった。だが

「誰に行ってもらおうか」となると、やっぱりみんな尻込みして

「よし俺が」と言い出す者は一人もいなかった。そこで色々話し合いのすえ、藤六とその他若くて強い三、四人が選び出された。

 その当日、一艘の舟が磯ばたに引き出され、隅々まですっかりお清めをし、漁師たちも身を清めて、互いに水盃を取り交わし、大澤寺の住職さんも頼んで舟に乗ってもらい、藤六の水先案内で、愛鷹岩に近い漁場に向かった。

 光もののする場所へ着くと、まず住職さんが数珠をもみ、声高々とお経を唱えた。ついで、漁師たちがひと網

「ざぶーん」と海中に網を入れた。しばらくして、おそるおそる網を引き揚げてみると、不思議なことに

『阿弥陀如来』の像があがってきた。


海の如来像
海の如来像

「如来様」は一時藤六の家でまつっていたが、こんな貧しいあばら家ではもったいないと言って、下波津に小さな御堂を建て、そこに安置した。それから漁師たちはいつもこの如来様に大漁を祈っては海に出かけた。

ところが気味の悪いことに、この阿弥陀如来様が夜になると、ちょうどあの時化の晩に源七が聞いたような<うめき声>をたてた。みんなの耳にはその声が、

「行きたい 行きたい」と聞こえるのだった。そこで村人たちは気味悪がって

「如来様はこの御堂では気に入らず、もっと大きなお寺に行きたいのだろう」と考えて、大澤寺の住職さんに頼んでお寺でまつってもらうことにした。ところがやっぱり毎夜うめき声をたてる。どうしたらよいのか、村人たちはわからなくなってしまった。ある人が言うには

「大澤寺には聖徳太子様がお作りになったという、同じ阿弥陀如来様がおいでるので、やっぱり他のお寺でおまつりしたら」と、また元の御堂に移した。けれども、毎夜

「行きたい 行きたい」といううめき声が続く。とうとう村人たちは文句を言いだした。

「この如来様は始末におえない。いったいどこに行きたいというのか」そして

「お前が何とかせい。如来様を元の海の底に捨ててこい」と藤六に詰め寄った。

 信心深い藤六は悩んだが、どう考えても海に捨てることは出来ない。かといって家の中に置くと村人に見つかって、如来様を壊されでもしたらと思い悩んだ末に、庭の隅へ浜から綺麗な砂を運んで、そっとその中に埋めて、こっそり毎日拝んでいた。

 それから星移り、年変わり、心の正しい藤六は歳をとるにつれて人々から頼りにされ、村人から色々な相談を受けた時、そっと如来様を拝んでいると、いい知恵が浮かんでくる。

勤勉な藤六は暮らしも豊かになり村人から尊敬されて、安らかな生涯を送ることができた。

 藤六が亡くなってしばらくしたある年の時化の日に、藤六の家の庭だった所の砂が流れてあの如来様の像が静かな光を放っているのを通りがかりの人が見つけた。村人は初めて藤六が如来様を海へ捨てなかったことを知り、心を打たれた。

そうしてあのとき如来像が「行きたい 行きたい」と言ったのは、貧しい藤六の所だったのかと。

「砂の中でも如来様は安住しておられた」

村人たちはそのいきさつを悟って如来像を藤六のお墓のある大澤寺に大切に安置した。

 この「海から出た如来様」を拝むたびに村人は、立派な漁師だった藤六のことを語り伝えてきた。

 

 

現在、海の如来様(阿弥陀如来像)は大澤寺本堂の余間にいらっしゃいます。先代住職の代、平成元年の本堂内部改修の際、何をトチ狂ったか京都の仏具屋に海の如来さん(寺ではそう呼んでいます)を出して金ピカにしてしまいました。単純に伝承通り光らせるために金箔を貼ったのかと思いますがオカシなことだと今でもその話になると父親に詰め寄ります。如来様の「光」の意味のはき違えですね。以前の海の如来さんはそれはそれは黒っぽくていぶし銀の様、渋かったです。作成当初は金箔が施されていたでしょうが・・・。

手ぬぐいでなすくれば金箔は剥げますが、これでは「ピカピカの一年生」みたいでまるで新調の木像の様。・・・欅材で高さ43cm。当山の本堂中心にある御本尊よりも一回り小さいです。

また、藤六さんについては残念ながら当山過去帳には記載が見当たりません。このお話は元禄時代のことと聞いておりますがその頃の過去帳は今のものとはまったく違い、「不親切」で詳細についてはまったくわかりません。たとえば藤六さんがその家の長男以外の兄弟(末っ子)とありますがそういう場合、亡くなると「何何某倅~なんとかのせがれ」というようにしか記しませんでした。姓は勿論有りませんし今となっては調べようがありません。(ブームで家系図作りというのがありましたが以上の様な状況の中殆ど御先祖様を遡って調べることなどは実際上無理な話なのです。よって高額な調査費等で依頼して出来上がったものなども殆どが「捏造」といっていいかも知れません)