小堤山

小堤山は安政地震以来、拙寺代々の地震津波避難所です(→地震記)。以前とは地形がまったく変わってしまいましたが私ども家族も当然にこの小さな丘に上がることを申し合わせております。

その時ここを集合場所とし、たとえ姿が見えなくとも「探さない」約束もしています。偶然に生かされた者が無駄な労力をかけないように・・・

さて、上記「本多忠晴」墓地を背にして大澤寺方向の図です(真東)。よって日没に手を合わせれば忠晴家一党の墓苑にも

手を合わせることとなります。

本多弾正少弼忠晴は徳川四天王の一人

本多忠勝のひ孫にあたる相良藩藩主です。 相良というと田沼様のイメージが

ありますがこちら本多家の 1+3(時代が飛びます)の藩主時代はトータルでも田沼時代と同じくらいのご縁がありますし家柄からいえば田沼家とは徳川家臣団の歴史から相当格が違います。

当山三代父、成瀬藤蔵正義の奥方の妙意も本多家の出身。大澤寺を見下ろす小堤山からずっとこれからも見守ってほしいものです。

ちなみに当山婦人部で駆け回っていただいている本多さんもその系統です。

ご当家の今は「蜻蛉切」(とんぼぎり)を筆に代えて「書道家の道」です(本多菁翠-ほんだせいすい)。勿論その墓石には家紋に立葵(たちあおい)が刻まれていることはいうまでもありません。

背の高い凛々しくも優しい感のある大御所様の御姿は最近お目にかかる機会がありませんでしたが、体調をこわされたとの便り。またお元気にお参りいただけますよう切に願います。

下の画像は小堤山下の桜トンネルの奥、旧駿遠線電車道のトンネルです。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 09 4月 2012 10:36)

    いつもの朝のウォーキングコースですね。
    いい眺めが続きます。
    この眺めのいい景色が津波に
    流されることは無しにしてもらいたいです。
    でも いつかは起こることです。
    いつかはわからない。
    自然の猛威に対しては
    ただただひれ伏すのみ。
    人間の力なんて微々たるもの。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 11 4月 2012 23:28)

    ありがとうございます。自然の力の前に人間はなす術は無いですね。もし偶然が重なって生きる機会が与えられたのならこの場に逃げあがりたいものです。