再び行僧原

河原﨑家御一統は行僧原と、後世になって下った池新田の二地区に広がります。やはり本能寺の変後、当山ご開祖今井権七と共に遠州入りし帰農した五家のうちの一つです。

私の甘い算段では、今頃次男は京都の学校に決まって入寮の準備に入っている頃合いであったはずなのですが、相良に残らざるを得ない状況になったため今回も行僧原に二人で上がりました。(お通夜)

写真は私の爺様、十三代目の今井匡が本山奉仕団を組織して上山した時の図。総代の川原﨑匡さんよりお借りしたものです。昭和四十四年と年号と日付があります。川原﨑さんの母上様が左下。皆さん着物です。地区別で組織したのでしょう、ここにいらっしゃる方々は「河原﨑または川原﨑」(河→川への変化は明治時代に役所の記入ミスから)を名乗る方々だと思います。中央の白い洋服の方が久邇宮家の三女・智子(さとこ)裏方です。昭和天皇の皇后は裏方のお姉さん。

 

※氏名不詳のためお判りの方はご一報ください。