政府の間抜けぶり フェノロサと救世観音 法隆寺

夜間雨が降ってくれないこと、それがかなりの私のもやもやの種。静波墓園に植えた樹木の状況が心配です。

よって水遣りのため6時に出立。バケツ二杯分をブン撒いてきました。

帰宅すると「夜は大雨の予想があるよ・・・」とのことでしたのでそれなら2日くらいは何とかなるだろうと安堵したのでしたが、夜7時頃にポツポツとはきたものの、この乾燥状況の改善にはちょっとキツイ。

欧州の山火事地獄は高温乾燥状態が連続し、降雨がなかったことが原因でしょう。

雨嫌いの私が雨ごいするのですから余程です。

 

昨日は玄関脇のバケツに雨水が溜まっている様を発見しました。

それを炎天でフライパンの如く焼けているコンクリート路面にぶち撒くと、無数のボウフラ共が悶絶している様子が。私が地獄の極卒になったのでした。

それとも殺生の積み重ね、その件閻魔帳に追記されたか?

しかしそやつらをそのまま見過ごせば今度は私が痒みでのたうち回ることになりますからね。

 

扨、英雄たちの選択は「国宝誕生 〜アーネスト・フェノロサの挑戦〜」でした。

フェノロサといえば仏像、仏教美術、絵画が廃仏毀釈という国の愚策によってゴミ同然とされていた時代にやって来てそれらの保護を訴え、その極上と美的センスを日本人に伝え、世界に知らしめた人でしたが、私はもろ手を挙げて賛辞を贈る気にはなれませんね。

 

彼の日本での活動は廃仏毀釈の精神を否定し、保護というものを強く訴えた「文化の恩人」という捉え方はありますが、日本滞在中に買いまくった夥しい古美術品をアメリカに持ち帰り、ボストン美術館に寄贈したことはあまりにも有名で、日本文化の棄損ともいえること。

 

そのために日本国内で関連展示会を催すにあたりそのボストン美術館所有のそれらを借り受けるというバカバカしさがありました。

ということでそれを考えるたびにバカ丸出しだったあの薩長政権の愚策がまた脳内蘇ります。ホントに腹立たしい・・・

 

というのもその番組の前に「八重の桜 決戦の時」(再)を視聴していたこともあります。

城内八重さん奮闘に白虎隊の自決シーンが描かれていました。

白虎隊といえばその無念について奥方の叔母が当地に訪れた際に饒舌に物語していたことを思い出します。

 

そこの辺りは以前にも記していますが、奥方の母方一族の遺骨は墓地を改め拙寺で預かることになりましたが家系は江戸末期までは会津藩御用達の商家でした。本家筋は大坂に出て商売を続けているようですが・・・

そして会津ちゃきちゃきの系統の資財が同朋会館「無碍館」建造のベースとなっています。

 

よって当家はここ数代は薩長とその施策、特に廃仏毀釈等、嫌悪について伝承していくことでしょう。何てったって私の頭の中は古くてカビが生えていますので。

時間ができたら「会津へGO」などと奥方を誘うもまったく興味なし、そこがイマイチつまらない。

 

画像は法隆寺。

人、数多でシャッター機会を待つのがクサクサさせられる地。

最後の画像が法隆寺の救世観世音菩薩像。

ニッコリしているのがポイントですが「聖徳太子伝承」もあって畏怖と尊敬を受け続けていたといいます。

こちらは秘仏中の秘仏、完全秘仏でフェノロサが1884年に無理矢理に厨子を開帳させて対面、紹介したもの。

当初ぐるぐる巻きに木綿布にくるまれていたといいますが、何と「200年ぶり」にオープンさせた仏のその美しさ(世界無二・・」)に圧倒されたとのこと。

さすがにそれを「買い受けたい」とは言えなかったでしょうね。絶対にフェノロサの心の底に「欲しい」の気持ちはあったでしょう。

ボストン美術館にはその手の類またぞろですからね。

 

大層な品々を寄贈をしたボストン美術館でしたがフェノロサはそこから追い出されて、無念の生涯を送っています。