宝永四年に横須賀湊は埋まる 御前崎先端の岩礁地帯

体調はいたって好調、踏ん切りを付けて今日は草刈りから・・・と宣言。静波墓園と境内の繁茂した雑草どもを一掃しようというものです。

気合をこめたその宣誓を息子と奥方に。すると息子は「今日はダメ」、奥方は「洗濯があるから一人でヤレ!!」のつれない返事が。

仕方がないのでテラスから草刈り機を持ち出して「イザ整備」の段、燃料をキャブレターに送り込むプライマリーポンプが劣化して破損の様を親指が確認しました。

「何だこれは・・・」茶色に変色して割れていました。

 

数カ月前は息子が動かしていたのですが・・・

まぁそういうこともあらぁな・・・と割り切ってそのパーツを購入に走りました。

どうにかなるかと思っていれば、私の刈り機用のそれ(ポンプ単体ではなくポンプにベースが付いているタイプ)は在庫していず、何種類かあるパーツの棚の前で立ち尽くしました。

 

ということで帰宅し、ネットで検索。一応は注文した次第。何日かかかるよう。

そして配送料無料のうえ単価が安いため5個セット(900円程度)でした。

1つが劣化して不使用になるのに最低3年。残り4つを使い切る前に「こっちが劣化」することは目に見えています。機械の方もそこまでもたないでしょうし・・・生きていると何とムダが多いことか・・・

まぁ「今日の草刈りはヤメロ」のお達しであると心得ていますが・・・

午後からは史跡研究会のミーティングがありましたからヘロヘロになってまで仕事をする気にはなりません

 

扨、その会では田沼時代に大規模な水路の構築の計があり、その実際たるや如何なるものだったかを検証している方がいらっしゃいます。

その計画とは今思うに信じられないような無謀で画期的をも思う工事ですが、結局は計画倒れで終わったよう。

 

それが遠州灘―駿河湾を結ぶ水路の工事。台地を避けて内陸部の低地を掘削していこうというものでしょうが、思うに遠州灘から堀新田―比木を流れる筬川を利用、浚渫し幅を広げ、須々木川までの比較的高地箇所を掘削していくようなものだったのでしょう。大舟を通す為には大規模な工事が不可欠です。

案外、田沼時代が続いていたとすれば完成させたかも知れませんね。

 

何故にしてそこをショートカットさせたかったといえば理由は一つ。遠州一番の難所、御前崎沖の岩場の座礁帯リスクを回避したかったのでしょう。

 

昨日はこの遠州中部の古地図を見回して想像を巡らせながらあれこれと楽しませていただきました。

横須賀湊があの南海トラフ地震として名高い宝永四年の隆起によって使用不能となっていたという記述が印象的。

相良湊は安政地震の隆起と土砂堆積によって舟が入らなかったということでしょう。

 

それにしても御前崎沖の岩礁地帯の表現は怖すぎます。

あの絵図を見たら誰も通過したくなくなるでしょう。

 

今の地名と前後するところも見受けられますが・・・まぁこちらの地図の作製は明治になってからでしょうね。