熱中症は個体差とコンディション ハイハイレース

朝起きてちょっとした不調の気配。

それは寝違いからなのか頭痛の前兆なのか原因はハッキリわかりませんが、私がそのせいで「あまり気がのらない」とぼそっと。すると奥方が沖縄弁のイントネーションで「熱中症 なったか~ ? 」。

 

猛暑といえばその語彙が飛び交うようになった昨今です。

その発症によって倒れたり亡くなったり人が数多出現し、日本全国そのニュースが取り上げられるようになりだした頃、沖縄では「何をそれを今更騒いでいるんだ?」という気持ちがあったのか

知りませんが、外で会う知り合いにそんな声をかける場面に遭遇しました。

ということで、その語を半ば「弱音を吐く」が如くに取るように。やれやれの蔑んだ意もあったかも知れません。

私も沖縄での生活からこちらに戻ってから、その語は「休む・・・サボる」ための免罪符にも取れるように感じられた時代がありました。

 

他者の体調のことなどわかりえませんし。

人それぞれでまた日によって時によって気分や調子は様々ですからね。

しかしある夏、私の現場で自衛隊あがりの若者が草刈り中に眼前で昏倒しそのありがちな症状を「披露」したことによって「こりゃあ嘘じゃぁない」「ホントにあるのだ」と確信したのでした。

その事件があってから私はその熱中症について人命尊重の意も含め他人様のそれへの各対応について一応は検討していったものです。

そしてそれへのノーケアはもはや社会が許さなくなりました。

 

その朝の私の症状について奥方は前夜の熱帯夜によって「熱中症になった」との指摘でした。

どうしてもその語に反応してしまう私は一時は自宅待機、いわゆるお留守番で・・・と考えていましたが、急いで着替えて息子の車に飛び乗りました。

要は「泣き言」との指摘を受けることは、かなわないというところ。それも「熱中症」といわれるのも・・・

 

その日は家族から前々から「空けとけよ」と言われていた日。

息子の長男が某所企画のハイハイレースにエントリーしているとのことでした。

奥方とその親の気持ちはそのレースへの出場に気合が入っていたようですので、私がそれをドタキャンすることはやはり気が引けましたからね。

 

一応私はそのレースに登場するその子の動きというものを心配しました。

お隣の子をけん制し服を掴んだり、イングランドの選手の如く平手打ちを見舞ったりの一発レッドカードをです。

しかしそのようなこともなく、泣き出して周囲を困惑させることもありませんでした。

ただハイハイなどまったくせず、他の乳児たちがそれぞれの親たちの音頭にのせられてゴールに向かう姿をただ傍観するのみ。意外にも微動だにしなかったこと。

私は「山は動かず」と天晴れであると一言形容しましたが、彼はそもそもそのような意図も親たちの希望などまったく理解していませんから。

ただ私はその様を見てニヤニヤ。

 

また「山」を動詞化して「ヤマル」・・・。

こじつけですが悪くない・・・(ヤマル 19歳 スペイン)

ちなみに息子の嫁は左利きです。

左利きはスポーツにおいて有利ですからね。

もしそれを受け継いだとしても矯正せず傍観します。

拙寺では焼香の際に「右」を憶えればイイだけですからね。

「疾きこと風の如し」は成長と共に身に着ければヨシ。

大きく成長する姿を見守りたいものです。

 

最後の画像はドンドン下がるコメ価格。

帰りに息子が即買いしていました。

春の米価暴騰以来「朝飯はパン」という家庭が増えたそう。

国民コメ離れの様相。

それでは価格どうこうの話のレベルではありませんね。

業界と国の発想と米の出し惜しみが墓穴を掘っていたようで・・・人の意図する事とは反対になることしばしば。

 

息子らは今のところコメ離れには至っていないようです。