寂光院までの小径「朧の清水」「千年の姫小松」

おそらくあの夜中(日が変わる頃から)の雷雨をもたらした雲はこちら南遠限定の通過だったような。

まさかとは思うものの、その雷さんが私に向かって落ちてきて、ここぞとばかりに日頃の私の有り様に対し反省を求めてくるのではないかと不安になるほどでした。まぁそれは昔から日本人の心にあった自然への畏怖の一端なのでしょうね。

その心は今の私としては「南無阿弥陀仏」の名号にのみ占められていますが、時にそれが不安定な心地の悪さとして目を覚ましますね。

雨はあがって夕刻には日の出るタイミングもありましたが基本曇天の一日でした。

 

その「まさか」の想いはやはり普通に当たり前の如く、時として眼前に突然、現れ出ますからね。

すべての事が「紙一枚」ごく僅か些細なところで、コインの裏表のように大きく結果が変わるのです。

私で言えば「誤認と錯覚」=「思い込み」がその「裏表」に繋がっていることを一応は認識していますがね。

「それが人生いろいろ」などと断じるのはカンタンですがその件を若い頃から子供たちに伝えおくことは重く大切なことかと思う昨今。

昨日記した因果の道理(自分の撒いた種~)とは違った切り口で。

一人の人間というものを大した経験もしないうちに他から「サマって」「ペライチ」に纏められ消去されるのではね。 

今の子供たちを見てスマホを「神」の如く拝み奉り祈るが如くの異常ともいえる執着を感じますが、そこには人生を歩むといった重大な仕事を控えている者の今としてあまりにも心許なく思います。ハラハラですよ。

 

ジジイの戯言と一笑されましょうが「スマホ・・・怖い」の件、昨日は「奥の墓道」氏と語らいました。

スマホに彼からの着信が朝っぱらからありそれを取れば「コレって俺がかけただか?」。

聞けば机の上に置いてあったスマホが「勝手に」私にかけたと。

あり得ると思いました。私も心当たりがありますからね。

他者が聞けば「いよいよ老いぼれたな」と言われそうですが・・・

奥方は「知らず知らずのうちに・・・」との指摘。

全ての事においてそれ、ありますね。認知していない・・・認知症?

 

扨、昨日はバスツアーに参加される世話人さんから「バスの駐車場所は」について問い合わせを受けていましたので念のためバス会社に。それは私の当初の予想通り、国道沿いの駐車場でした。

自家用車用の駐車場からは少々距離がありますが、まぁ許容範囲でした。

 

怒りと寂しさを新たにした寂光院(昨日)。

何度も記しますがこちらへは観光バスは入れません。

自家用車で向かえば付近の私設駐車場300円があってお気楽なのですが、あの時の私は自分の足を使いました。

何故なら三千院側の駐車場500円/1日に駐車していましたが、それは300円の節約ではなくせめてあの小径を歩かなくては・・・と思ったからです。

やはりその目的を持った散策は楽しい。晴れていればその心地よさがより尻腰を押してくれます。

まぁこの道の往復をバス遠足の皆さんに勧めることは躊躇しますがね。

 

やはりそちらの道を歩むそのタイミングは私と海外から来られたお二人のみでした①。ここでも彼らがこの道を通過するその心とは・・・などと思うのでした。

②は途中にある「朧の清水」。

③④⑤は堂内から見かけた石塔たち。

一見して新し目の石塔で私の石塔美術としての興味の外ではありますが。

ご挨拶をと思う方がいらっしゃるでしょうが、進入禁止のエリアになっています。

⑦⑧は「千年の姫小松」。上記の手前にあります。

今は切株。それはそれは気の毒な事です。

生者必滅とはいいますが・・・。