天気の下り坂予報を信じ静波墓園の仕事の後始末に息子と向かいました。放置したままになっていた伐採枝葉の回収です。
ここ数日続いた日照のおかげでカラっカラに乾燥、ラクな仕事でした。
それにしても先日刈った場所に新芽が無数生えていました。
驚くべき生命力としぶとさに溜息。
また好天の日を選んで、やっつけようと思います。
先日植えたサクラに水を補給して帰寺しました。
昨日の「クロ現」は例の文化財の保護か廃棄か、がテーマでした。
収蔵庫が満杯で入りきれない、収蔵庫の維持ができない、収蔵庫の新設ができない・・・が理由のようです。
文化というものに国があまりその方向に厚き意志を向けていないとことを深く感じます。
カネ儲けに繋がらないものは捨てましょう、といったキャンベーンの如くその意志が伝わって、今全国的にその保護の意義について問われているということです。
おカネは大事です。
しかしそればかりを求めようとする風潮は人の「こころ」を失いかねませんね。
16歳が屯し「人を殺してカンタンに金を稼ごう」というメッセージにも。
そんな世に誰がした・・・単純に思うところです。
その次の番組は歌番組になりましたのでBSにチェンジ。
「新日本風土記」の「鳥取いちばん物語」でした。
大山寺の阿弥陀さんに感動。三佛寺、三徳山(みとくさん)という名を初めて知りました。
大山寺の阿弥陀堂は殆どの時間閉鎖されていて、外の空気を入れるのは久しぶりの場面。
そちらは天台のお寺( HP )ですが、格式の高位の寺でやはり僧侶も本山で一定の位階を得た者のみしか入れないといいます。「修行に10年・・・」スゴイ!!
「投げ入れ堂」 ( HP )には今俄かにその名を聞くようになった「蔵王権現」が鎮座するといいますが公開はやはりしていないとのこと。
そして一般の参拝者を募る大晦日の山登りの様子が放映されていました。
雪深くまた険しい断崖を深夜に、敷設されたチェーンを握りしめながら進み、鐘撞堂で除夜の鐘を撞いて、「投げ入れ堂」前で読経するというもの。
人それぞれで生かされていて「それでいい」のですが、当流宗旨や私の生活とは隔絶していて口を開けて視聴するばかり。
大山寺は檀家さんを持たない「観光のお寺」であると住職が仰っていました。
そのアピールを色々と考察している姿をお見受けした次第。
鳥取というやはり私如きのそのお頭では及ばない地で各健闘される皆さんに「素晴らしい人たち」の存在を感じました。
尚、上記蔵王権現は現在奈良国立で「神仏の山 吉野・大峯―蔵王権現に捧げた祈りと美―」特別展が開催中です。
先般はやはりテレビ小僧は奈良博公開用の秘仏搬出の様を視聴しましたのでその興味は尽きません。
しかしどうしてもそちらへ向かう機会に恵まれませんね。
特に奈良中心部といえば苦痛を伴う「混雑」を思い二の足を踏んでいるところ。
以前、明日香から談山人社に向おうとした際、何がいけなかったか山中迷い込んで吉野の地に出たことがあります。それが30分以上すれ違う車すらなしの山奥の感。混雑の真逆を体験。
修験道・・・自然崇拝と仏道の融合―の一流の地として名があるわけです。
また吉野といえばサクラですが、そのサクラの材で蔵王権現が作られたという所縁があるのでした。
その鳥取の大山寺阿弥陀堂の主の姿をチラ見して、何とも言えぬ憧れを感じたのですが、私はやはり「人少なし」の場への趣向は特に強いのでしょうね。遠すぎて気軽には赴くことができないということもありますが。
扨、昨日は叔父の三千院は(大原は)「一度行けばイイ」という言葉を記しましたが、それも人それぞれ。
私も実はそのタイプの一人。
人様の「イイね」が私のそれとは違うなんてことは多々ありますね。
ということでどんな「16歳」も知っているお寺「法隆寺はどうよ」となるとやはり私はそれと同様「もうイイ」ですしそれ以上にバス遠足で皆さんをお連れするという選択肢はありません。
内容はかねて博物館特別展等で拝見したものと重なります。
そして「見てもらいたい」といった来訪者への配慮が伝わってこないこともありましょう。
超がつくほどの国宝クラスが勢ぞろい。建造物もそうですが古仏、遺物居並ぶディスプレーも天晴れではありますが。
内部は光を遮断し、照明は落し気味。要はうまい具合に拝観することができないのです。護るため・・・とはいえ。
私の如く視力に問題のある者としてはそれらを拝み見るに限界というものを感じるわけで。
回遊もどうでも良くなってしまう諦め。
それでまた御門徒さんをお連れするに聖徳太子に関わる寺としてはGoodではありますが、昨日ブログの如くケチな私の懐具合を鑑みても、そのお寺のシステムに「私はムリ」を思わされるワケで。
まぁそのお寺での滞留時間を十二分に取れる機縁があれば少々話は違ってきましょうが。絶対に一日居座るという気概があればね。
ちなみに拝観料は中宮寺と併せて4か所のチェックポイントがありますが「全部見る」のチケットを購入して2000円+中宮寺の600円になります。またそれとは別の境内にある企画展などに入れば+500円。
トータルで3100円と相成ります。
勿論それらをコントロールされるスタッフの数も。
地域の就労にも一役買っているのでしょうね。
例の修学旅行書生さんたちとかち合えば殆どラッシュアワーの電車車内の様(ちょっと盛りすぎ・・・) 。
東京国立の法隆寺館の静寂は機会さえあれば何度でも行きたいと思いますがね。ちなみにそちらの入館料は博物館入場料のみでタダですから。
文化財保護の意味から、維持管理の難題を背負っていますので観光のお寺として拝観料の徴収は致し方ありませんが、ちょっとね~の気持ちいっぱいになります。
よって「一度行けばいいや~」になるわけで。
お寺としてのカテゴリーが違うのですが本来は「また来てね~次回の御縁まで(毎日来てもいい)」と感じてもらってこそだとは思いますが。
画像は東大門と西院伽藍の道そして迷い込んだ吉野の集落での一コマ。
東大門の道を辿る人は結構少なめですが左側に続く諸院の壁には各所に痛みが見られました。突っかえ棒での一時しのぎの箇所も。
日々どれほどの拝観料が積み重なるのか知りませんが、こういった築地塀の修復にも使われるのかしらね。
私の個人的趣向、崩壊中の土塀というものに情趣を感じますが。
壊れた壁・・・廃墟・・・かつての繁栄・・・人の営み・・・無常といろいろ思います。
しかし崩壊をどう食い止めていくか、捨てるはカンタン、うまいこと維持できればいいですね。政府の匙加減によりますよ。
吉野のサクラもテレビ画面で観るだけ。さぞかしその時節、山の中は人と車で溢れることでしょうね。
一言気づいた事がありましたので。
こちら国宝に指定されている東大門の外側(夢殿側)には車を3台置ける駐車スペースがありますが、おそらくお寺の関係者の自家用車でしょう。
その駐車車両の存在によって東大門全景をうまく画像として納めることができません。よってこちらは右側部分をカットしました。何せその文化財との同居は何とも無粋ですからね。
少しはそういったところに配慮し、そちらをブランクにするなどの発想はなかったのか・・・ちょっと首を傾げたところです。










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