橘寺山門から 頭痛の痛みも人による

先週からの体調不良の間に声を出す機会(法縁)がありませんでしたが、昨日は午前・午後に加えて夕刻からのメディテーション(正信偈とおしゃべり少々)がありました。

朝からどうなる事やら・・・と不安がありましたが(悪化したらどうしよう・・・) 。

また意外に冷えましたので堂内に石油ストーブを復帰させました。

読経中、幾度か咳混みそうになりましたが(特に午前)一日終わっってみればなんとかなったの無事安堵。

結果はオーライの喜び。

 

私や「奥の細道」氏の間で以前から体調不良への対応として「逆療法」などと面白がって、常識的な「安静にしなくてはならない」の気持ちを蹴散らし、「動け」「ヤレ」「イケイケ」とばかりに不調に抗うことを奨励したりしましたが、本日の声の出しまくりもそれでした。

まぁ数日間の復旧時間もありましたが、要は休むではなくGO!!の気合です。

いつまでその変てこな精神論にも似た「術」が通じるかはわかりませんが、今のところ各「痛み」含め体調不良への対応として通用しているようです。きっと理論的に適合の部分もあるはずです。

ただしそれでも一つだけそれが通用しないのは頭痛ですね。

できるだけそれは控えることにはしていますが、こればっかりは鎮痛剤の力を借りなければどうにもなりません。

 

先日境内でお会いしたご門徒さんと小一時間ベンチに座ってのの会話がありました。

第一声「不調がすぎて遂に会社を辞めた」とのことでしたので。

なにしろ周囲も会社側もその不調について理解してくれないという腹だたしさのようなものを感じました。

 

当初はその頭痛に関して、私も実は頭痛持ちで「よくわかりますよ」の軽口を叩いていました。

そして私が頭痛薬の御馴染みブランドを2.3あげると一笑に付されてしまいました。

聞けばまったくそのレベルの頭痛ではないと。

通院して注射(痛み止めの強いヤツ)で解放を得ているそうです。

そしてこれまでその原因を探ろうと3つほど専門病院を渡り歩いたそうですが(CT・MRI)どちらも原因は掴めずこぞって「偏頭痛」との診断。

診断書のその文字では会社にも周囲にも説得力がないようでもどかしさも。

その痛み、苦しみは私の想像の上を行っているのでした。

「死んでしまいたいほど」くらいの尋常でない表現がありました。

 

人の内なるところにある痛み苦しみというもの、こちらで理解を試みようとしてもなかなかうまく受け取ることはできません。

人それぞれ個体差があるのですね。

しかしその方はその「個体差」と言う語が好きではないと。

それはどちらに行ってもその語を使ってあたかもその痛みは「気のせい」レベルとして一蹴されてしまうからだそう。

 

言葉を吐くことは案外と深みがあって難しい。

魚が水槽の中でパクパクやっている姿を表現した「魯」という漢字の如く・・・。

何をおしゃべりしているのか、わからない・・・相手(聞き方)あっての言葉ですからね。

よってその一文字には「間抜け」「足りない」という意を含みます。

以前、江戸から明治初期までロシアの日本語表記は「魯西亜」でしたね。プーチンを連想しもしますが・・・

また「頑」な「魯」で頑魯。

源信さんはその語をもって自身を形容しました。

 

画像は昨日の続き。

ここのイイな、と思うところは、門前に駐車場があること。

まぁ勝手な言い分で。

山門は思いのほか小さめ。

大寺院のそれをイメージしていましたので。それがまたいいのですね。