朝から色々あった日でした。
その色々が終わったと一息ついた16時すぎになってまた一つのテーマをいただきました。
ご門徒さんご夫婦での来訪でしたが、近々ありうる親族の終末について「どうすればいいのか」とのことでした。
まずはよく存じ上げる方のその方のその時についての緊迫について驚かされたのですが、とにかく当方としては、施主として「どうしたいのか」をお聞きするわけですね。
すると参列者は3名でいわゆる世にいう「小さなお葬式」にしたいとのことでした。
その語については「小さい」とは名ばかりで結果的に「普通」と思われるそれと大した変わりがないとの評価。
直近棺等必要アイテムの価格上昇が目立っていますし、人件費の高騰もありますから、全体の価格低下は難しいですからね。
そして拙寺での葬儀のあり方、特に前年より始めた拙寺会館(「無碍」)での弔いについての疑問点などいろいろを問われました。
拙寺の「無碍」使用のお弔いについては今、巷間大流行りの家族葬にはうってつけではありますが、それは「互助会」風のシステムであってそれを依頼したからには次に動くのは「私」であるとの躊躇があったよう。
「私には到底それお返しすることはできない・・・」という問い合わせでした。
大きな誤解があるようです。
私は「できなければできないでイイ」―おまかせ―の宗旨でありそれを強制するものではないということと、そもそもこの「無碍」でのお弔いは現状「互助会」システムではないことを告げました。
出来る限りこの「無碍」のシステム(お寺と世話人有志)で施主の要望に応えられる旨であると。
「何もわからない」からプロにまかせるのはカンタンな方法ですが「プロ」という語に拘れば、お寺こそが一番にそれを熟知しているという自負があります。
特に当流の流儀について他流と同様に考える方たちがいらっしゃいますが、結構に違いがあります。その辺りの理解がまだまだですね。
たとえばいたずらに「友引」を忌避させて日延べする方向にあるような気がしますが、私は友引通夜の翌日葬儀ができない場面に遭遇するとイラっと来ます。インターバル2日ともなると拘束がいよいよ強くなります。
尚当流の「友引」は完全無視まったくOKの立場です。ただ火葬場の休日がそれですからどうにもなりませんが。
その理は、なんと言っても「無碍の一道」だからですね。
親鸞さんの和讃に
「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ
天神・地祗をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」
とあります。
そういう言葉を知らない「プロの方々」が結構に多いのでした。他流がそれを重んじていても当流は違うのです。
お二人は私なりの説明をひとまず了承してお帰りになりました。
この日はたくさんのおしゃべりをして喉に痛み。
関東は雪予報。また寒さが戻りそうです。
健康維持に努めなくては・・・
当地も午後8時過ぎにポツポツと雨が降り出しました。
画像は先日記した富春院。
本堂前の小さな祠③に地蔵が。お顔はよく見えません。
古くからの言い伝えがあるようです。






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