駿河の偉人中村正直 富春院 息をしている間に

勿論半袖になって境内のあれこれを。

前夜から考えていたこと、やりたいことが何とかできました。

ただし心残りの少々。

外ネコのキイロシロが開けっ放しにしていた本堂の障子から入っていたことは知っていました。

照明機器設置と配線工事終了後、片付けに入ったわけですが、しばらく経って軽トラの荷台で別の作業に取り掛かっていると堂内でガタガタと。

もしかして・・・と本堂に向って障子を開けると彼女が脱兎のごとく飛び出してきました。

 

まさかの「思い込み」でしたね。障子は中から数か所がブチ破られていました。後悔してもしきれない。

まったく浅はかでした。

 

しかし浅はかなのは私だけではないようです。

イスラエルとアメリカの「兄弟」がイランと戦争をおっ始めたニュースが入りました。

「権力とカネ」を背景に世界に君臨しようとする浅薄が徘徊しています。

 

昨日は功利主義なる語をただの思い付き程度で記したのでしたがあまり好きになれない言葉ではあります。

個あるいは関連する一部の集団が「幸福を求めること」と解釈しますが、それによって対する一部の人々が「不幸に陥る」ことを許容するというのでしたら本来の自由を求めようとする発想とは違うのでは・・・

仏教には「抜苦与楽」という言葉がありますが、それこそ「自他ともに」ですからね。私だけ私たちだけでしたら「その他」の除外者たちは永遠の敵。

彼らも幸福を求める権利が当然ありますのでその手の浅薄が今度は先の幸福者に対して反発行動が起こるというのが世の常。

難しいテーマです。

毎度の如く記させていただければ「もっともっと・・・」 ("For a Few Dollars More")は滅びの感覚。 

 

自分の身近な「楽」を追求してただ息をしているだけ・・・それが日常の私。「仕合わせ」です。

 

本当に人というものは人殺しが大好きなの生物ですね。

「敵」というものを作りヘイトを叫ぶこと、それが何かしらの「儲け」に繋がるといいますからね。

トランプなどはただの商売人。不動産屋でした。

 

扨、やはり昨日記した富春院。

①はその門前になりますがその前に建つのが中村正直の「尚志」の碑。

彼が文明開化の当初にその功利主義の最たる考え「幸福」は誰もが求むる心の余裕なのですが、現代社会ではそれは大抵の場合「カネ」への欲求ですからね。

まぁ明治初期のすべての空っぽの頭にその斬新は不可欠だったのでした。

 

彼が静岡に住まった場所がこちらのお寺の近く。

山門からちょっと臨済寺に向って③の角を入ると「中村敬宇先生旧宅跡」の石碑が建っています。

光線の加減と石のテカリで読みづらいこと失礼。

そして古い方の石柱の上部が欠けていました。