少々大袈裟な表現ですが、素晴らしいお日よりでした。
思わず「冬期間脱却宣言」をしたくなるほどで、午後には境内で半袖シャツ1枚になったほど。夏の先取り・・・
お昼頃に「島田宿金谷宿史跡保存会」の皆さんが本堂見学に来られましたが、車は相良史料館に置いてから徒歩行程と。
ジャンパー等寒さ対策は当然のことでしょうが「さすがに暑い」。
史料館について例の刀剣の展示は「既に終わっていた」と仰っていましたが私は「いずれ常設展示になるでしょう」と再たの来訪を促しました。
扨、先日は中條景昭像の下、開拓団碑の名に「関口隆恕」なる名が刻まれていたことを記しました。それについては昨日「がつお」氏より「駿遠へ移住した徳川家臣団」の紹介とともに指摘がありました。関口隆吉とは別人か。
書籍はいずれかの入手を試みるとしてあの開拓団碑に記された名前についてどちらから来てどちらに消えて行ったのかは興味あるところです。
その中で私が地元、遠州の姓氏としてよく承知している「浅羽」がありました。
実はこの「浅羽」についてもその出自詳細を掴んでいませんが遠州でいえば、袋井の浅羽を思い起こすわけで、その地名と同じ「浅羽氏」の存在があります。
その浅羽氏の城館があった場所を示す碑が昨日記した駿遠線芝停車場の「線路」の向かい側にあります。
県道工事で遺構が失ってしまった反省の弁が記してありますが、いかにも取り返しがつかないことで。
浅羽氏が当地に来たのはかなり古い時代といいます。
拙ブログでは高天神城の城代として入った人(華厳院)について記していました。
ただし説として浅羽一統は武蔵児玉党の流れで、児玉党の各支流
が全国的に流れていますのでどちらの浅羽さんかはわかりませんが。
ただし浅羽の浅羽さんの通り浅羽氏が当初土着したのは袋井南部のラグーン(こちらも)西側だったということで。





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