いつもより気温高めで雨降り。かなり久し振りを思います。
前日まで本堂前の水盤の水位は半分程度まで下がっていましたが朝には満杯になっていました。
植物たちは勿論、境内に集まる鳥たちはこの水盤の水で渇きを潤していますので彼らにとっても恵みの雨になったでしょう。
気休めかも知れませんが、異常な乾燥は一旦は解消されたようで、すべてにおいて良き雨でした。
まぁ夕刻前には太陽が出ていましたし、雨があがればまたお天気と乾燥が続くのでしょう。ただし気温は上昇傾向といいます、満足できる雨の一日でした。
扨、袋井「五十岡」のバス停から「伊賀」の雰囲気を感じつつ五十岡公会堂前を北に向かって上がります。
むしろその突き当りの台地トップこそがその丘・・岡ではないかなどと思っていると大きなお寺がありました。
そちらが龍巣院、如何にもおどろおどろしく変わった名前です(こちら)。馬伏塚城の真東、1㎞少々の位置関係です。
馬伏塚城は深い湿地帯、ラグーンに浮かぶような平地にあります。一見このお寺の丘の上に城があったとしても不思議はないところですが、当時の城づくりのポイントとして高低差に関してはあまり重要視されず選択は後位になるのでしょうね。
泥田・深田が一番なのですね(浅野文庫馬伏塚城)。
寛永八年に山門が再建されているそうですが龍虎の額の彫り物が見もので左甚五郎作とあります。
ただし多くの職人たちが腕を競った時代で左甚五郎伝承の作品は各地にあまりにも多くあり特に「龍」の題材は顕著のよう。
その龍が泥だらけになっていて、それが夜な夜な田畑を荒らしていたのだという伝承があります。
その時の和尚さんが十二世の北簡元寿という人。和尚はもともとは武田勝頼の配下にあって高天神城にいた武将。
攻防の惨状に嫌気がさしたか寺の十世の弟子になり、六十五歳の時に十一世の後を継いだと言います。
その辺りの詳らかな経緯など想像するだけで面白そう。
私は高天神城に関わっていて開城後地元に根付いた人を「高天神崩れ」という語で記していますが、このパターンもそれでしょうね。
⑦がこちらのお寺の水盤。痛みはありますが造りは見事です。








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