比木から池新田 相良浜岡線の隧道

息子の千葉での法縁が終了した13時すぎから、首都高と東名高速情報にアクセス。

適時掲示されるヤバそうな情報を事前に息子の携帯にlineしようというものです。早めに知れば対応可能でしょうから。

 

首都高1号線の工事通行止め以外は首都高・東名高速すべて順調でした。

事前に「不要不急」と「通行止めもあるよ」のアナウンスがあったことからでしょう、いつもの渋滞は出現しない様子でした。

14時からの史跡調査会の会合がありましたのでPC前から離れていましたが、16時過ぎに再び画面を見ると「大和トンネル内事故火災渋滞」の掲示が。

慌てて彼に連絡すれば「今、富士だよ」で一安心。

高速道路の遠乗りというもの、当人としてはそうは思わないものですが周囲は帰ってくるまでの間はやきもきさせられます。

そしていつもいつも紙一重で生かされているように感じます。

 

午前は奥方が浜岡の獣医に薬を取りに行くとのことで「急げ」と尻を叩かれてハンドルを握りました。

私は150号まで出て国道を走り出そうとすると、「何故にして遠回りをするのだ!」とイライラをぶつけてきました。

奥方は「比木道」(相良浜岡線)使用の主張です。

少々の距離はあっても150号ならば信号待ちさえ少なければ「早い」というのが私の考え。

比木道は見通しもそれほど良くなくアップダウンあって人の往来も「近い」ですからね。

かねてからその道での人身事故の件、耳にしていますし。

 

というわけで私はその距離についてどれほどの遠近の差が出るのか計測しようと考え、150号線波津交差点からその国道を使用して目的地までの距離を計測。ちょうど10㎞ということがわかりました。

用事を済ませてから今度はそこから比木道を使って旧道波津交差点までを計測。

9.1kmでしたから何のことはナシ900mしか差はナシ。

150号線を使った方がやはりいい。

 

扨、その比木道、相良浜岡線。

比木から池新田側の平地に向かうにちょっとした丘のアップダウンがありますが、そちらは以前と言えば隧道があったといいます。

浜岡側にはあのプールがありますが、その「山」を夏場に通過する際はヒグラシの声が聞こえてほのぼのさせる道ではあります。「史跡」の会長はその件ご存知でした(場所はこちら)。

 

この台地の南には池宮の桜ケ池の丘に至る渥美源五郎の首切り坂があります。古くはその坂道を超えて池新田に向かうのが常道だったのでしょう。

今は隧道から上部の山地は開削され、切通になって車の通行ができるようになっていますがこの山は昔は難所だったことでしょう。

 

こちらの隧道の件は先日の萩原氏との会話の中で初めてお聞きしたことでしたが、その隧道の建築に出資したのは萩原家だったそう。

先日はやはり風吹隧道大城隧道について記しましたが、牧之原台地、小笠台地からさらに舌状に派生する台地群は少ない平地に住まう人々の生活、モノの流れにどうしても障害となりますので、やはり手っ取り早くその解消をしようと隧道建築の夢を皆が持つわけですね。

 

そこでこの比木ー池新田の隧道の建築の為に資金を提供した萩原家。

一言昔の為政者・長者たちの政(まつりごと)といえば、民の為にカネを出すことだったと。

身銭を切って奉仕したものだが、今の政治家というものは御一同「自分の為・・・」の様。

「その末に当家は没落した・・・」の弁には言葉がありませんでした。

 

最後の画像は「史跡」の会長がこのほど藤田覚氏より贈呈された「露寇事件」(ろこうじけん)。

幕末のドサクサ期、著名な事案数ある中、この件はそれらに埋もれがち。

「知らなかった」では済まない歴史ですね。

高度な日本史の試験に出そうな事案。