ラグーンの字面は袋井の史料館から 新田開発へ 

「四月上旬の暖かな日」との前振りでしたが、相良は風が強く「それほど・・・」の感。

家屋の解体工事が迫っているということで、御当家の古くから伝わるお内仏の閉扉のお勤めに。

お世話になった中央大学陸上部出身の奥様の遺影が迎えてくれましたがその笑顔とは裏腹に私の心は沈むばかり。

奧さんは正月といえば大手町、「箱根」の応援に出向いていました。それからですね、私が正月に中央大学にポイントを置くようになったのは・・・

その後当方奥方の手を借りてそのお宅のお内仏周辺の整理を行いました。

大量の線香とお焚き上げ依頼の経本類を引き揚げましたが線香はお寺で使用させていただきます。

お軸は施主が新居にて使用するそうですが大きなお内仏と他の仏具に関してはそのまま解体屋さんに任せると。

今年の閉扉式第一号でしたが、今年もたくさんあるような・・・

まったく辛い・・・日に日に世界は悪くなる・・・この国もどんどん・・・なんてったって「人がいない」のですからね。

 

扨、昨日記した姥ガ懐から馬伏塚城周辺の「ラグーン」でしたが、その文字は袋井郷土資料館のパネルから。

③図は昨日の概略図と同等のものですが、「4000~5000年前の砂洲」「江戸時代200年前の海岸線」「明治以降できた土地」など海岸線後退の様が記されています。

またこのように平坦な陸地が増えて新田開発となるわけですが、今川氏真判物が紹介されています。

 

昨日はまた浜岡原発について記しましたがその陸側、「池新田」なる地名もこちらのかつての馬伏塚周辺と同様「ラグーン」の如くであったかと。

 

 

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コメント: 3
  • #1

    お祭り大好き (金曜日, 16 1月 2026 22:50)

    15代将軍 徳川慶喜も墓じまいの模様であり、墓所などの整理が徐々に拡大しており、寂しい限りです。 一方、今川氏真の功績は菊川市棚草を訪れて今川祠を参拝しましたが、永禄4年(桶狭間の戦の翌年)に浅羽・横須賀でも新田開発の善政を行っていると知り、氏真をもう少し評価しなければと思いました。 今年は祖父 今川氏親の没後500年ですが、義元と異なり静岡市や歴史学者は関心を抱いていない模様です。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 17 1月 2026 17:23)

    ありがとうございます。
    敗軍の将の家督継承、そして戦国の猛者たちに囲まれての領国経営はさぞ困難があったことでしょう。戦い下手を思いますが信玄と家康に囲まれれば当然の事かも知れません。
    しかしこのように領内の防災を兼ねた新田開発など平和な時代には欠かすことができない統治の手法は評価しなくてはなりませんね。
    そして氏真にはあまりにも時間がありませんでした。
    領国内の安定と豊かさを思うお屋形さま、戦下手でもいいじゃあないですかねぇ。
    むしろ今、そのような発想が望まれているような・・・

  • #3

    今井一光 (土曜日, 17 1月 2026 17:25)

    ありがとうございます。
    敗軍の将の家督継承、そして戦国の猛者たちに囲まれての領国経営はさぞ困難があったことでしょう。戦い下手を思いますが信玄と家康に囲まれれば当然の事かも知れません。
    しかしこのように領内の防災を兼ねた新田開発など平和な時代には欠かすことができない統治の手法は評価しなくてはなりませんね。
    そして氏真にはあまりにも時間がありませんでした。
    領国内の安定と豊かさを思うお屋形さま、戦下手でもいいじゃあないですかねぇ。
    むしろ今、そのような発想が望まれているような・・・