比木に矢村義塾 矢村宣昭 相良勤番組

一昨日、友人の「奥の墓道」氏からメールが。

 「日に日に具合が悪くなる 気のせいか~ 

     そうじゃない~ 午後から病院行きましょか~」

なる言葉が連なっていました。

 

年末に風邪の症状が出て今節彼の帰郷は急きょ中止になったわけですが一向に快癒が見えず遂に医者に駆け込んだといいます。

症状は微熱状態含め「最悪」の様だったようですが、医師の判定は咽頭炎だと。

巷間流行している「溶連菌」による感染が想起されますが、結果的に彼が来訪しなかったことは正解でしょう。

私やその家族にも感染しますからね。

薬を処方されておしまい、とのことでした。

 

実はその彼の「詩?」については「私もまったく同じ・・・」と返していました。

大晦日にやらかしたあの自爆事件以来「日に日に~」と痛みが強くなっています。

肋骨については経験上基本的に治療はナシで自然治癒を待つだけのイメージですから放置していました。もっとも医院の今年のスタートが昨日からでした。

 

立ち上がる時、寝返りを打つ時など「う~」とか「あ~」とか声を出すものですから奥方から「いちいちうるせー」のクレームが出ました。

こうなったら「笑かしてくれ」と。近所の外科医へ行って「白黒ハッキリしてこい」とのアドバイス。

 

医院は相変わらずごった返していました。

受付で書面を記して診療、帰宅したのが2.5時間後。途中1時間は自宅待機可とのことでしたが・・・。

画像診断で、「ヒビが見える」程度、胸をグルっと巻くギブスを提供いただいておしまい。それを締めると結構にラクになりました。

 

先般も記しましたが、他人様に「ケガにご注意!!」などの警告をしたりすれば・・・あの時は「それを言おうと思っただけ」でした・・・「それ、みたことか」の如く私自身が「やらかす」というのがいつものこと。ジンクス?

私の場合、その件、枚挙に暇がありませんね。

調子にのって磯で飛び回る息子に「滑るから気を付けろ!!」と怒鳴ったあと私がスリップして足の指を骨折した件は我が家では教訓的なエピソード。偉そうに人に指示すると・・・酷い目に。

 

「気を付けろ・・・」―「お前がな・・・」。

全ての私の勝手な判断、思いにつき・・・「お前さんはどうよ・・・」と私の後ろに立って肩を叩く方はあの方と御先祖たち・・・

一言で「それが仏教」と感じる次第・・・

 

扨、昨日記した左傳翁碑

最後に名が列挙されていましたが「矢村義塾長 矢村宣昭」に

ついて。

萩原家のお内仏の上に掛けられた遺影が各ありましたが、その左端が矢村宣昭。大切に掲げられいます。

その人については、かつての相良史蹟研究会の史料にありました。要は慶喜に従って駿府・遠州に配された勤番組の一人。

彼は何故か比木にくだって矢村義塾なる学び舎を創設。

地域のために尽くした人でした。

勿論比木の地に骨を埋めています。

この萩原家とも昵懇にしていたことでしょう。

よってあの碑文建碑の筆頭となったのでしょうね。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (水曜日, 07 1月 2026 10:21)

    この方国立公文書館に明細が残ってますね(登太郎となってますが愛太郎です)
    ただ、駿藩各所分配姓名録では掛川奉行に属しているので後に相良勤番組となったんでしょうか

    小普請組金集手伝矢村登太郎 明細短冊
    https://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/1176653

  • #2

    今井一光 (水曜日, 07 1月 2026 19:12)

    ありがとうございます。
    国立公文書館にその名が明記されているのですね。拝見させていただきました。

    当方史料では
    明治二年 掛川奉行支配割付 榛原郡西山村へ移住 私塾を開設
    明治三年 相良勤番組世話役介 小笠郡比木村へ移住
    明治三年 静岡藩相良修学所教授 
    明治六年 相良小学校校長
    それから東京に出て再び比木に戻り
    明治三十三年に矢村塾
    といった流れになっていました。