相良の昨日は、一昨日あたりより一層暖かな一日でした。
会う人会う人「あったかいね~」。
世話人さんたちが集まっての本格的な準備は30日になりますが事前にやれるところまでの境内準備が捗りました。
「そうは問屋が卸さない・・・」という感じになるのはいつものことなのでしょうが、現状31日の「晴れ」のお墨付きをいただいるからには心は「余裕のよっちゃん・・・」。
焼き芋用の芋や境内酒場の土井酒造「高天神」の用意も。
昨日のニュースによると掛川満水と菊川西方・堀之内で目撃されたクマは東海道線軌道内で轢死したとのこと。
電車と格闘したとなればいくらクマといえども敵うワケがありませんね。
南遠南下のシールドとして①新東名-②1号バイパスー③掛川・菊川市街地-④東海道線-⑤東名高速があったのでしたが例の個体は③④で引っかかって結局はそれ以上の南下はできなかったということですね。
目撃情報があれば「追い込み」が入りますのでクマもやすやすとは「海」には出られない。
これで私の高天神城とその周辺地域は当分の間は安泰です。
扨、先般直メールで高天神城についての質問を受けました。
それが、高天神城「伊賀曲輪」なる伊賀者の屯する曲輪の件。
私は高天神城には中学生時代から親しんでいる地で、各書面についても一応は目にしているつもりでしたが、その曲輪の存在についてはまさに初見。
「へ~え」とばかりにその件、自分なりに知りたくなりました。
興味津々ながら「知らなかった~」。そして井戸曲輪の間違いではないかとの疑心・・・。
私は大須賀党の構成要員として「伊賀者が居ても不思議ではない」がその名称があったことは耳にしたことがないと返信。
するとその間違いではなく確かにその存在について主張されていましたのでその論拠について伺ったのでした。
先ずは袋井市郷土資料館の高天神城のジオラマにそれがあり、次に某書物にもその曲輪についての記述があるとのことでした。
というわけで、そのジオラマを見学させてもらおうと袋井の史料館に出向いたのでした。
先般も記しました通り、こちらはジオラマを資料館のスタッフが製作していますがこの高天神城のジオラマもなかなか精巧なつくりです。
目を凝らして各曲輪に記された名を探すとその「伊賀曲輪」があるではありませんか。
ということで受付へ直行。
「それについて教えて~」です。
スグに対応不可とのことで名刺を差し出して「よろしくおねがいしま~す」と帰寺。
すると携帯電話に「実は史料文献にそれは見当たらない」ということと念のため掛川市のご担当に問い合わせてみたとのこと。
そちらでもその「伊賀曲輪」の名称は「現状文書に見つからない」とのことでした。今後新史料の発掘からそれが出てくる可能性もないとは言い切れませんが、そもそもその発端は某誌小説の中からだったよう。
先日来「ドラマ」について記していますが、それらは史実に沿いつつも「そうかもしれない」といった作者の創作があるものです。
「創作も継続し続ければ史実になる」とは言いますが、今世間一般に流布されている「歴史」から逸脱することはちょっと困惑させられます。新史料が出てくるのとは違いますからね。
また、私は憎まれ口になるのかも知りませんでしたが、ジオラマに描かれた高天神城大手池に注ぐ「二筋の川」についても指摘させていただきました。
湧き水程度のものを少々大きく描いたようでした。
池田屋酒店にて高天神を3本仕入れました。
寺酒場の店主は勿論池田屋さんご主人。
気合が入っていました。





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がつお (火曜日, 06 1月 2026 23:26)
このジオラマは2014年11月に行われた「馬伏塚城と高天神城展」の時に作られたものみたいですね
その時の解説資料の中の絵図に伊賀曲輪とあります
もしかすると当時の展示物にその根拠となるものがあったのではないでしょうか
過去のブログを拝見するとご住職が講演会に行かれてたみたいで・・・
もしかすると講演をされた先生がご存じかも(↑の某書物を書かれた方ですかね)
『馬伏塚城と高天神城展』展示解説
http://fukuroi-rekishi.com/siryo/2015/01/post-126.html
今井一光 (水曜日, 07 1月 2026 09:30)
ありがとうございます。
また『馬伏塚城と高天神城展』展示解説も添付いただき重ねて御礼。
かつては目にしていたかとはおもいますが、あらためて拝見してよくできた案内です。
いずれにせよ伊賀曲輪について当初質問された方のその根拠が「オール読物」の小説だということが判ったことと袋井・掛川の両教育委員会からも「史料的根拠はない」との回答を得ていますので一応は一件落着した次第。
がつお (木曜日, 08 1月 2026 15:07)
本文中の根拠は読み物でしたか
実は小和田先生の著書で「高天神城の総合的研究」という本に伊賀曲輪と書かれています
伊賀者云々の記述はありませんが先の展示も小和田先生が関係されているとしたら伊賀曲輪の出所は先生ではないかと推測した次第です
もしかするとそれより古く「静岡県古城めぐり」にも伊賀曲輪の記述があるのかもしれないのですが私は閲覧できないので不明です
もし、お手元なり、図書館にあればご覧ください
今井一光 (木曜日, 08 1月 2026 19:51)
ありがとうございます。
そうでしたか。
そこの辺りのところは察していましたが「今さら聞けない」ところですね。
先生の若い時代の研究テーマですが・・・ここは「否定できない推論」かと。