午前・午後のダブル法縁はさすがに喉に来ました。
ここのところの寒気南下につき会館で開催するようになったわけですが、暖かく快適ではあるもののエアコンを効かせた室内はからからの空気。
午前の法縁のあとから思い出したように加湿器を稼働させましたが夜間、くしゃみを2度続けての違和感あり。
もしかして風邪の前兆では・・・不安な時間となりました。
一晩休んで結果が判明するのでしょうが、その日もダブルが待ち受けています。
特に明日は午前10時、午後の開式が15時とインターバルがあるため、その待機時間の過ごし方、案外と難儀します。不調の際は息子に頼もうとおもいきや、彼は浜松で法事だとの事。
この時節、ちょっとした油断が自らの首を絞めることになりますね。
扨、「からから」といえば先日記した東大谷川。
あの地の土壌の水はけが良すぎて農作物の成長を阻んでしまうことから、溜池がより多くつくられたのかと思いますが、アレほどに河が干されることは・・・
しかし不思議なのはあの犬待坂の東大谷川を外堀に城砦が築かれていたことの推測です。
あの高天神城包囲網を築く徳川方に対する高天神城に兵糧を入れる街道確保のための武田方との争いの最前線となる地ではあたことはわかりますが、当時の水量はいったいどうだったのだろう・・・と思うころ。
何といっても乾期とはいえ水一滴も見えない川底を見せつけられていますからね。
そちらはGoogleマップには番所ノ段城跡との明記がありますが、その城址は私のバイブル日本城郭大系の「その他」項目にも「高天神城の跡を尋ねて」にも登場してきません。
土地の伝承からかも知れませんね。
もしその城砦が存在したというならば、その川の流れが豊かで存分に水堀としての役目をしていたとあれば尚よし。
すうなればその城の向きは海側になります。
それは横須賀城方向を意識しているように見えますので築城は武田側であったと思うところ。
今は高天神城に至る萩原峠に繋がる街道に橋が架かっています。細い木橋に火をかけたり落としたり、水をたたえていなかったとしても十分に堀としての機能はあります。
そういった犬待坂のいわれにつきその前面にあったという城砦跡に行かないわけがいかないとばかりに干乾びた川に下りてその緑の小山に侵入しました。
中は竹藪と化しおそらくその大部分は東側のリサイクル工場とその駐車場によって削平されているかと。よってハッキリとした態様は分かりかねますが、南側を意識したであろう比較的大きい土塁らしき高い盛り土がありました。
川沿いに高天神城方面、北側に主郭と思われる場所を推測するわけですが⑧⑨⑩、その西側の川そして東側の街道側に土塁を思わせる段差は見られましたが・・・。
尚この道⑨は農道私有地だと思われます。
しかしいずれにしろこの程度の高低差と規模では「城」としての防御機能を求めることは難しいでしょうね(場所はこちら)。
地図にある名称の如く「番所」の類か。











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