昨日午前は四十九日法要とご納骨。
先般お知らせしたとおり、最も近場の墓石屋さんが廃業したことからか「(男手があるので)住職のアドバイスでタノム」と事前連絡がありました。
墓塔納骨室を覆っている石材兼焼香用に加工された材を外してからの納骨、そしてモルタルでそれを封じる作業ですが、その材料について拙寺で全て揃えてあります。
私は毎度その作業手順、コツについて伝えるだけですが最近は特に気安く承っています。
もっとも昔ながらの上部石塔(竿)から外すタイプに関してはお断りしていますが。
よって納骨の日の天気が心配になるところですが、昨日は好天無風のベストコンディション。
「(ずっと晴れそうだから)のんびりでOKですよ」と告げましたがその日で全行程終了していました。
扨、ここのところ高天神城について「想いだしたように」やたらと記していますが、やはりこの城の一番のウリは二の丸周辺の横堀、堀切、竪堀ですね。
以前から適宜拙ブログで記していましたが、掛川市も力を入れるようになり整備と掲示案内等を手がけるようになりました。
山の中ということもあってこまごまとした配慮は無理=倒木等瞬時に対応できない=ですが、予算をそれなりに取っていることは見受けられます。
まぁ十数年前の崩落によって二の丸方向に繋がる鏡曲輪から追手へ通じる道は通行が阻まれその再開はずっと滞っています。
まぁ追手道からは一旦三の丸や本丸に出てからその道を辿れば問題はありませんが。
この城が落ちた二度の戦いとも二の丸からが発端、よってこちら二の丸の脆弱性については後世語られている所です。
武田勝頼が攻城を成功させたことから当然にその件を認識していますので、守城側となった段階で二の丸の守備力向上、大幅に曲輪を改変させた様が窺がえるのが今残存する地形でしょう。
ダブル堀切は如何にも武田風。
それらを感じ取れるのがこの二の丸周辺でした。










コメントをお書きください
お祭り大好き (月曜日, 01 12月 2025 08:54)
高天神城の落城した天正9(1591)年に先立つ6年前に武田勝頼が敗北した「長篠・設楽原の戦」から450年経過を記念して古戦場設楽原にて11/30日に火縄銃演武(長篠設楽原鉄砲隊・国友鉄砲研究会・駿府古式炮術研究会)と日本鉄砲史学会講演があり、出かけてきました。 昔の雰囲気が残っている古戦場の演武は天候にも恵まれて銃音が響き晩秋を楽しむことが出来ました。 また、講演を聴講して少し知識を吸収しました。 新城市は人口が多くありませんが、戦没者への慰霊も丁重におこなわれており地公体・地元民の歴史に対する深い熱意を再確認しました。 残念ながら横田甚五郎の末裔の一人は逝去されていました。
今井一光 (月曜日, 01 12月 2025 17:45)
ありがとうございます。
お天気に恵まれて良きお時間をすごされましたね。
あの独特の雰囲気漂う設楽原の野原が賑やかになったことでしょう。
それにしても駿府から近隣とはいえない三河の山間までお疲れさまでした。
「お祭り」のようなものでしたね。