一日中境内作業。外は風びゅうびゅうでした。
冬場の北西風が駆け巡る大穴の開いた庫裏の天井板張り作業をようやく始めました。
できればこの週末にやっつけたいところですがまぁのんびりやっていこうかと。
昨晩のBSで事故物件についての番組を視聴しながら。
不動産業界としては切実かと思いますが、その手の物件は世の中またぞろあるようです。ゲスト出演者がその「事故」とは関係なく「お墓の隣のマンションで~」などいうその状況を説明して「なんたらかんたら」、要は「でた~」(心霊現象)という件を話していましたが、私から言わしてもらえば「バカも休み休み言え・・・ 何言ってやがる」ですね。
そんなもの見た事一度もありませんし・・・
業者の「心理的瑕疵」と告知(自殺他殺について賃貸は3年間告知 売買は期限なく告知等)について話が展開していましたが、「噂や記憶」のウェイトが高ければ長期に渡って「継承」するでしょうしまたそれらは各個人の心理的問題ですからね。
しかし「知らぬが仏」・・・ではありましょう。
扨、先日八幡神社の中村氏から「比木の萩原氏は高天神崩れでは・・・」なる質問を受けました。
ざっと私の知る限り、武田方徳川方とも萩原氏の名は見かけませんでしたのでその旨を伝えましたが、高天神城に関わる地に「萩原峠」がすぐ近くにあり、「萩原口砦」なる高天神城後方を守る砦があったことを・・・
たとえばそちらに詰めた武将にあってその地の名を名のったことも考えられますね。
まぁ可能性としてのみ、ハッキリしたことは分かりません。
その萩原峠はあの馬場平から横田の抜け道を進み楞厳寺山経由で高天神城搦手方向に戻る道上にあります。
拙ブログでも何度かその名を記していましたがこの萩原峠と萩原砦は高天神城側にとって重要性は高かったと思われます。
それも先般記した芳峠砦あたりより数段・・・
峠を抜けて西に出れば南北(遠州灘と小笠山方向)を結ぶ東大谷という地に出ることができます。
この道は南に出張れば横須賀城の斥候に出られますし北は横田甚五郎が辿った道であると推測できます。
横須賀城対策としてこの砦が置かれたとすれば将に武田の手か。
何せこちらには夥しい数の城塞砦がありますが、徳川か武田かどちらが設けたものか判然としないものが多いものです。
そのような中、最も武田が力を入れていたのでは・・・と思うところ。
やはり押し込まれたとしても本城(高天神)まで退避すればいいという立地。
現状この道は土方地区から東大谷に抜けるショートカットの道のり。高天神城から南下するよりも横須賀城は近い。
今は峠に大城隧道が。
③④は西側から入口の図。
⑤は高天神城側。峠上部に見張り台がありこちら側トンネル出口周辺の削平地に駐屯地があったかと。
やはり私は風吹砦同様この峠トップまで登る気にはなりませんでした(場所はこちら)。
高天神周辺には外輪とも言える台地を貫くトンネルあるいは切通しが後世になって各所に設けられています。






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