拙寺裏の石材屋さんが先般廃業されました。
近場だけにご主人とは親しくさせていただいていましたが、病を得て亡くなったのでした。
やはりその近所のお友達が、ある約束を「1週間後に・・・」とした直後、突然の訃報を聞き「そんなものなのか・・・」と新たに人生無常を感じたといいます。
昨日は「3年後」について記したのでしたが「1週間後」でさえわからないのが命。
蓮如さんの御文、白骨(5帖16)の最後の件
「たれの人ひとも はやく 後生の一大事を 心にかけて~」
の通り「はやく」が重大ポイントですね。
先延ばしすることなく「今」を大事に・・・
しかし私どもの感覚では「1週間後」など「いま」のイメージと大差ないのですが。
そのくらい命を得て、かつ長らえることが如何にも奇特なことであって、意識して大切に大事に生きるべきであることを含んでいる言葉だと思いますね。
扨、横田甚五郎尹松が逃げのびることができたのは「家康のおかげ」というストーリーがあったわけ(昨日)ですが、彼は甲州に辿り着いたあとしばらく、武田家滅亡を経てから家康の家臣に収まっているわけで・・・その辺りも昨日の私の「ケチ」の理由でした。
彼は高天神城最高所の馬場平から尾根伝いに1㎞ほど西に進んでから現在の「東大谷」に下りています。
昨日も記した楞厳寺という名のある尾根トップに行き着きそちらから北側を下ることになります。
史料によっては楞厳地(または竜今寺)とあり「寺」の存在については不明です。
ちなみに当流「正信偈」には「釈迦如来楞伽山」(釈迦が楞伽山で説法)という件がありますがその地名の「楞」からすると説法の場と解釈できなくもありません。
やはり昨日記したように、家康は天正八年三月に西大谷の普門寺の観密坊と竹本坊の案内で萩原峠経由でこちら楞厳寺から高天神城方向を視察しています。
そちらから横田が東大谷に下るには南側に下りる横須賀城側の道か前述の北側、萩原峠経由かの選択肢がありますが(どちらに下ってもその地名は「東大谷」です)、横田のコースは家康の辿った萩原峠を下りたというのが最も腑に落ちるところ。
横須賀城側は兵が揃ってあまりにもリスキーですし、横田の脱出経路は袋井―天竜―信州といいます。
気持ちとしても「南よりも北」を選択したいでしょう。
途上色々な地名案内があってよそから来られた方はワケわからん状態に陥るところですが、この尾根道は萩原峠方向に下りるというのが正解でしょうね。
途中地名を掲げる掲示板が見られますが、萩原峠が推奨コースになります。
要は高天神馬場平から進んだ尾根道を左手に折れず、楞厳寺の三
角点を過ぎてから右(北)側を下れば萩原峠になります。
途上各所にトラロープの配慮がありますので軍手を持参することが大事。トラロープの握りは滑りやすくまた不快なものがありますので。
色々な地名案内があってよそから来られた方はワケわからん状態に陥るところですが、この尾根道は萩原峠方向に下りるというのが正解でしょうね。
最後の画像の注意書きは追手門のもの。











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