先般、ある御門徒さんとの時間を少々。
真面目であまり笑顔を見せない方で私よりも少し若い。
話題は主に現在の体調のことでした。
先日記した拙寺境内作業ヘルプに入った方の「糖尿病」とは違ってその方の病名を耳にして「大したことではなさそう・・・」の第一印象でした。
実際にその方が背負われているその病とは「貧血」。
要は私もその手の傾向があって若い頃は急に立ち上がった時にぶっ倒れたことが何度かありました。
それでいて高校時代に浜松で行われた高校駅伝大会にサッカー部だったにもかかわらず(形だけの寄せ集め)2年連続で出場させられたことがありました。
要はその「貧血」などは気持ち次第で適当に克服できるものと思い込んでいましたね。
ところがその方の「貧血」はかなりの重い態様でまさに「筆舌に尽くしがたい」症状が。
そもそも生まれながらにして造血機能がうまく働かないという病で、これまで全身麻酔手術を6回行ってきたと。
それでも快癒せず「何とか生きて来たが、人生これまで1度たりとも『楽しい』などという思いはしたことがない」とまで。
私はそれを聞いて愕然とさせられました。
日頃私は「今、どんなに苦しくても悲しくても、これから人生が続く限りニッコリ、楽しく生きていきましょう」などといかにも調子のイイ事を話していましたからね。
そして先日目にした「無人島のふたり」なる日記の抜粋部分の件を思い起こしました。
「苦しみや悲しみに沈む人には、楽しかった思い出や未来に託す希望が一条の光となる。
だが不治の病と知らされた人には、過去と未来に思いを寄せることそのことが苦痛となる。
思い出にも希望にもすがらず、ひたすら己を空しうしておきたいのに、それが人には何より難しい」・・・。
まだまだ「分かっちゃいない私」がそこにあること、気づかされたのでした。
扨、これまで幾度も記している高天神城、昨日は追手門の礎石にいて記しましたがその反対側となる搦手について。城塞の裏口にあたります。
大抵の登城する皆さんはこちらの駐車場を利用しますので多くの方たちが通過する場所になります。
では「その門は・・・」となりますが、城門はあったにしろ厳密にその場所は特定されていませんね。
前述しましたように私がキレイで体裁良き言葉でもって他人様に未来の事を語るなどあることですが、今風に言えば「キラ」っとした言葉に違いありません。
悪いことではありませんが、その件、真なることではなく「適当でない」と思われている方もいらっしゃるでしょうね。
歴史的に史実を超えてキラッとした名称に置き換えることは多々ありますが、こちら搦手の周辺の地に「橘ケ谷」なる名称になっています。画像⑤の上部に。
あたかもその「橘」が繁茂していたのだろう、さぞかし古来から美しい物語(興福寺南円堂右近橘・・・)がそこにあるのだろう・・・などと錯覚に陥るところ。
ところがこちら高天神城搦手周辺は、昨日記した追手門周辺同様、いやそれ以上の阿鼻叫喚の激戦があった場所です。
特に徳川勢包囲攻城、武田方守備陣がこちらから討って出た際などどのくらいの首なし遺体が転がっていたことでしょう。
夥しい数に上がったのではないでしょうか。
「天正九年三月二十二日夜城兵総突出の時、軍監江馬右馬允直盛
・栗田刑部等精鋭三百騎雪崩を打って寄手の徳川勢に突入~大部分が搦手付近で討死」(藤田鶴南)。
そちらには三百騎とありますが、まず一騎に郎党数名が同行しますので実際の数はその戦闘だけで1000近いのでは・・・
当時はこの地の名を実際に「タチバガヤ」と呼んでいたといいます。
漢字をあてれば「太刀刃矢」です。
死屍累々と同様・・・
それを知ってこその高天神城。そして搦手の激戦の過去。
数珠を片手にお念仏を唱えながら・・・くらいでないと。
「橘」とは雲泥の差でした。
その有り様を「忘れたい」という気持ちも汲み取りましょう。
⑥⑦画像は昨日掛川方向に向かったついでに立ち寄ったもの。
嫌らしいですね、例の件の確認でした。
しかし私が指摘させていただいたからにはその改善の労力があったことは追記しなくてはなりません。
この掲示によって城歩きの皆さんの無駄な歩きと残念な思いをする人が無くなりますね。







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