待ち伏せの芳峠砦 高天神追手門迂回ルート

境内作業の一日。

いつものヘルプの方が朝から入ったため私は物置小屋の修繕を。

手作りの木製のものですが、シロアリでやられて側面から天井にかけてボロボロ。天の穴から空が見えるほどに。

このお天気続きを好機とみて脚立に上がりました。

 

その序盤で脚立を踏み外して滑り落ち、尻と腰を打ちましたが、まぁ何とか適当に過ごせました。

それにしても「落ちる」頻度が増えた感。

大分鈍ってきたようで。

小屋天井の仕上げはこれからですが、これまたテキトーに。

既製品の新調も選択肢に入れるよう奥方からその経費の承認を得ましたが、それはそれでヤルことが豪快に増えてしまいますからね。補修した方がマシ。

 

境内での作業中に墓参帰りのご門徒さん縁者の女性と会釈すると「ちょっといい?」と投げかけられました。

手を止めて「ベンチにどうぞ」とご案内。

先方は堂内等での時間を期待していたようですが、日向ぼっこを兼ねて私はそちらを指定・・・

 

それは1時間以上はあったかと思いますが、その話の要点は

①「恥を忍んで」の縁者との関りの問題と②その方御家族の「後生の一大事」についてでした。

殆どずっと聞き役の時間でしたが①に関して、私たち人間の個々の問題については「どうにもならない」というのが私の応えた持論。

 

それぞれの性格というものもありますが、基本人間というモノは利己主義であり、つまるところ「自分さえ良ければイイ」の動物的主観で行動するものだと。

よって解決策として「敢えて」と前置きし「なるようにしかならない」「勝手にしやがれ」の諦観も肝要と。

その件、いつもの私のパターン化した応答ですが、人間関係など相手様あってのこと。

こちら側でどうこう考えても詮なきことであってとにかく今あるままに家族とペットで楽しく暮らしましょう・・・でした。

 

②の「後生~」に関しては御夫婦ともどもその件について思うこと多々と。

ご主人の実家は他宗のお寺の檀家さんでその新家にあたるといいます。私の寺で永代供養にして欲しいとのことでした。

要は墓石は不要、拙寺の「一處一所墓」へ・・・です。

 

その理由は以前、私どもが承った葬儀での布施の額について「ケタが一つ違っていた」とのことでした。

聞けばその方の「家」の位が最上位であり、その格式での葬儀は「もう無理」との談。

まぁその「一けた違う」はリップサービス含めて真に受けることはできませんが、ヘルプに来ていた彼が「葬儀というもの坊さんは8人来ます~」とのことで大層の経済的負担について語っていました。

やはりお寺さんもそういう方たちのやりくりに経費がかかるのでしょうね。

まぁ私は他宗の諸事情についてまったく知り得ませんし、どうこう述べることなどできませんが、巷間話題になっている葬儀社への経費あれこれに加えその辺りの件も適宜話題になっている御時節のようです。

 

よって拙寺ご門徒さんによる「手づくり葬儀」をお手伝いするシステムについてもお話しさせていただきました。

「ただし、ベンツやBMWの霊柩車でのお迎えはありませんよ(軽ワゴン)・・・」

 

扨、高天神城周辺には夥しい数の「砦」と称される箇所がありますが、中には徳川方によるものか武田方の設けたものか定かではないものが多数あります。

徳川方の六砦ほか高天神城を干乾しにするための包囲網の数多の砦もそうですが、今となってはその存在意義を断定することが難しい砦も。

私が想う一時的、伏兵を置いて待ち伏せ、ゲリラ的に「本城に引き取る」ための拠点となったであろうと推測するのが芳峠砦です(場所はこちら)。

この地図をいじるのは久々ですね。

 

この峠に至る道は攻城側からすれば高天神城追手門下へ険しい山道ながらその直下へ間近に迫ることができるう回路になります。

辿り着く場所はどちらにしろ追手門の外側になりますので、守城側としてはそれほどのリスクは感じないかもしれませんが、攻城側としては正面よりも二手に分かれて意表を突きたくはなりますね。

 

そこを待ち伏せしてやろうと伏兵を置いたのがこの砦だったかと。

道の両側が切岸状に高さのある崖になっていて、双方から投石を主体とした攻撃をすれば、一定の効果はあったでしょう。

ある程度は進行を食い止めることができようというもの。

 

ただし、攻め手もそうは間抜けではありませんので、こういった地形は警戒するでしょうし、のこのこそのような危なそうな場所を通過するはずもなく・・・。

斥候が「ヤラレタ」あるいは「怪しい」と察知すれば手前側から尾根に攻め上がってその待ち伏せの兵は一掃されるでしょうね。

要は数個の投石、2、3本の矢を放っては退散するゲリラ戦。

「その後も進行を邪魔しますよ」のメッセージ代わりの砦だったのでは。

 

①が高天神追手門に通じる道から西に折れて芳峠砦付近へ辿ったところ。

①の手前西側が削平されていましたが当時からのものかは不明。そちらからは比較的なだらかな斜面になっていて切岸の上に攻め上がる事は案外簡単そう。

ただしその奥、突き当りの斜面上には③の如し、大岩が。

 

西側切岸の裏側は茶畑に開削しれていて崖上は竪堀の如くの段は推測できますが、ハッキリ言って「何だかわからない」というのが本当のところ。東側崖は山腹。

 

⑧の崩落防止の工作はその竪堀の跡かも。

各所に尾根を切っているような段は見受けられましたが、私の行った際は草ぼうぼうでした。

 

林道は高天神城搦手側から萩原峠への道が行き当たる横須賀城方向に向かう東大谷に繋がっていて戦略的には無視できなかったはずです。

ただしその林道通過のチャレンジはまともな車で入ることはやめた方がいいかも。

私は縦横無尽の軽トラです。