雨はあがって朝から好天の予報が。
ということで軽トラで浜松の息子宅・・・天竜川を再び渡りました。今度こそ・・・とあの意味なく大きい?冷蔵庫の降ろし上げがメインですが、他にソファーやベット等大物がまだ残っていました。
急いで荷物を出しておかないと来週は部屋の引き渡しがあるといいますから天気の回復は絶妙でした。
一昨日とはうって変わって気温は上昇、半袖シャツ1枚に逆戻りでした。
シャワーを浴びてのんびりしたのが8時過ぎ、ヘロヘロになりましたが怪我も無く完了したことは有難いことです。
扨、幾度もこの道150号線バイパスを通過して息子の住むアパートへ。
渋滞難所の150号旧道掛塚橋を避けて一つ南側の150号線掛塚バイパスにかかる橋で天竜川を渡ります。
彼の住まうアパートは浜松駅より西側になりますのでこの道の選択が有効になります。
往来の道すがら毎度気になっていたのがこちら磐田市の駒場なる地名。
城砦の類は見当たらず「その地名の語源たるや・・・」など毎度頭の中をもやもやさせながら①の景色を見ながら西進していました。堤の如く細長くある林に切り通しが見えます。
その150号線の縁の隣にあるのが②のぼた山。
これまで「円墳だろう」と助手席の奥方に囁いていましたが昨日「ちょっと寄り道」と奥方に許可をいただいて道を逸れて確認に。
尚田舎道を走っていればその手の林やぼた山、土饅頭の類は頻繁に見かけますがその度に奥方に「怪しい・・・」とほくそ笑んでいます。「禁忌」の連想ですね。
要は「何か埋まっている、埋められている・・・」。
それが「椎ヶ脇神社崩れ山」とありました(場所はこちら)。
坂上田村麻呂の伝承といいますから、気の遠くなるような大昔の話。その時代ときたら失礼ながら殆ど眉唾の雰囲気が漂います。
根拠のないことを記しますが、やはり円墳のように感じてしまいますが。
ところで当時の海岸線はどちらのあたりだったのでしょう。
すべてのことが通りすがりの戯言です。
帰り途は⑦の如く2階から降ろして積み込んだ冷蔵庫。引き出し3段は取り外し済。
冷蔵庫と一緒にその道を往復しました。
⑤は150号線を隔てて建つ駒場公民館。
④は頂上に立つ椎の巨木。
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