秋いよいよ深まったの感。
冷たい雨でさすがにいつもの半袖シャツ一枚というワケに行かず薄めのトレーナーを1枚余分に。
デスクトップの脇に扇風機がありますが、邪魔くさい代物になりました。
そこのスペースにしばらくしてストーブを置くことになるのでしょう。
何とか無事に春を迎えられますよう・・・
今節は冬眠前のクマたちの話題が尽きませんね。
クマの対人間へのフェーズが変わった年だといいます。
それがクマにとってこれまで怖いと思う動物・・・人間が実は弱くて食い物になるといった変化。
人からすればたまったものではありません。
時として可愛らしい動物であった彼らが私を喰らう悪獣となったのですから。
先日ご門徒さんからお聞きした話。
中学3年の修学旅行の件です。
目的地が東北地方だったことは驚かされましたが、それは流行りの京都回避の動きもあるのでしょうね。
そしてその地での活動として農村学習があったそうですが、その近くでクマによる死傷事案が発生したために、急きょ中止になったといいます。
それはそれは学校、教師からすればその件は看過できないことでしょうし、予約していた農家の皆さんには失礼したわけですが、その判断は正解だったでしょうね。
まさかの坂はそこいら辺に転がっているのですから。
扨、昨日記した東博運慶展、興福寺北円堂の弥勒如来坐像+α。
少しだけ余分な私の着目点を追記します。
まずは「弥勒如来」は既に(弥勒)菩薩ではなく(56億7千万年の修行成就)、兜率天「弥勒浄土」の主催者との崇敬。
昨晩の「1000年前の終活ブーム」で展開した「阿弥陀浄土 往生極楽」とは一線を隔します。
弥勒如来の右手の印の掌。いわゆる手相の如くある線の様がよく描かれています③④。
そして四天王の増長天。恐ろしすぎる形相と右手に握る刀で「次はお前の首を取るぞ・・・」の風。
怒りで半開きになった口、犬歯がキラッと光るその様、四天王の甲冑には不気味な顔が描かれているところ、気味が悪いというかその彫刻の技量に着目。
その甲冑に埋め込まれた人やら獣そして腹帯の獅子などそのまま生きたまま封じ込められているが如く。
劇画等に描かれるその手の図、要はこのパクリなのでしょうね。
また各像の手の甲に浮き出た血管の様も手が込んでいます。
またそれら(我ら行いに対する)憤怒とその重みを連想します。
古来からクマはいたはずですがその獣はこういったカタチでは登場してこないような。昔はそれほどクマは怖くなかった?
それとも関西には縁が無かった?
これらを目前で見届けることができる東京近郊の人たち・・・仕合せ者です。
コメントをお書きください