東福田は門徒村 軽便かつを 薩州正清

昨日の法要に参加された方から坂口谷川東岸の「東福田」(ひがしふんだ)についてお話が出ました。

余程の地元通あるいは年配者でなければその地名の話題にはなることはまずありません。

私も拙寺の初代今井権七の叔父の寺がそちらに当初あったことから耳に馴染んだ地名だっただけですが。

 

その方が仰るには当時の東福田は「門徒村」と言われるくらい真宗門徒の家が集まっていたといいます。

拙寺創建の叔父の広楽寺があった時代からの門徒衆の名残でしょうね。

武田水軍の甲州系の人たちもそのまま残り定住したかも知れません。調査をしていけば面白いかも・・・

 

その際今一つお聞きしたことに「軽便かつを」なる語が。

軽便というとあの鉄道を思い起こしますが、それではなく今でいう「宅配便」と同等のイメージ。

要は店舗を持たない移動鮮魚屋のようなものか・・・

住吉辺りの市場からかつをを配達する魚屋ですね、その魚の鮮度の良さが忘れられないくらい・・・美味しかったと。

ちなみに南遠州の年配者は異口同音にその魚の美味について語ります。魚と言えばそれで、毎晩でも夕食にそれが出たといいます。

 

そしてエピソードとしてその門徒村で報恩講の時を話されていました。そのかつをの配達人は毎度その時はガッカリして帰って行ったと。

その地の住民から「今日はお精進」といわれてすごすごと帰っていくさまが思い浮かびますね。

私が若い頃はそこのところ(報恩講のお斎)はやはり厳密でした。

今は門徒衆が集まって前夜から精進料理の仕込みから行うことなど無くなってしまいましたね。今からそれに戻すことなど不可能でしょう。

歴史だ文化だとその退化劣化についてどうこうボヤいている私ですが、自らぶち壊しにし、あるいは楽を求め、のほほんとしている私がいるけで。

情けない・・・

 

扨、画像は薩摩刀の1本。その記述、資料の転載です。

この刀剣について所有者は「ご縁のある相良に購入してもらいたい」と手放すことを了承しているそうです。

その金額について二の足を踏んでいるのが牧之原市。

要はその対価について工面が難しいところではありますが何とか目途がつきそうになったと思ていた(クラファン)矢先、今回の竜巻事案の発生。

市民が苦しんでいる時に「そんなもの買いやがって」と罵られることは必定です。

数か月前まで一部相良人の相当なる気合が入っていたのでしたが、今それを言う人は・・・

大分トーンダウンしている様子です。

 

しかしこのチャンスを逃せば二度とそれは手に入れられないだろうという方も。「ここは無理してでも何とか確保すべきである」という専門家の声まで。

まぁ相良の史料館にあっても不思議はない代物ですからね。