ゴハンギョの道標 街道三叉路 道の奥 未知の奥

作またも昨夕日本人のノーベル賞の受賞の報せがありました。

今度は京都大学の先生です。

新しい物質構造の発見だそうですが、先日の受賞の内容より一層チンプンカンプン。

しかし日本の頭脳は「なかなかやるじゃん」・・・。

大阪大学・京都大学と西の大学の名が響いていますが、やはり医科学は「西高東低」なのでしょうかね。

 

昨晩はNHK「クロ現」にて「みちのく記念病院は必要悪?・・・」なる言を耳にしました。

殺人事件を隠蔽(死亡診断書を偽造)したことから次々にその病院の背徳が露わになったことで、一躍その名が全国区に広まったのでしたが、その病院の形態とは、以前やはりNHKにスポットが当てられた八王子の滝山病院の件と同様でしょう。

 

要は内部の管理が極めて杜撰で人を人として扱わないような非倫理感、そして病院の利益とその継続のみに注力した挙句・・・というのがその共通点。

そして管轄行政側と病院の「なぁなぁ的関係」がありました。そしてまたその問題の根底にあるのが精神病院(社会復帰できない高齢認知症患者含む)への国の「隔離収容政策」があるといいます。

経済成長のためにその足かせとなるその人たちを「一同隔離してしまおう」という方策で、如何にも昭和的。

それがまた差別や偏見を助長させてしまうことを指摘していました。

 

そういった患者さんたちをまとめて面倒をとその受け口となったのがそういった病院だったわけです。

院内の運営方法についてはまずは門外不出。

時折行政機関の査察というものがありますが、それが「抜き打ち」ではなく「40日前に事前通告」というものでした。

それでは査察の意味がありません。

あの自衛隊でさえ隊員の薬物摂取について疑ってかかり抜き打ち検査をすることがあると先日記しました。

 

「手に負えない」=「即入所入院」という考え方も我々レベルで考えて行かなくてはなりませんね。

その時は「(痴呆症になって)自分が自分でなくなっているので・・・まぁいいか」で開き直るというのも問題解決になりません。「自分の事」として「今良ければいい」での漫然は道化かも知れません。

 

扨、昨日は長野入りして河川(桧原川)の自然造形と地元民間信仰の一つを記しましたが、その更に先、10号設楽根羽線を根羽村の中心方向に向かいます。

そして飯田と豊田を結ぶ国道153号線に交わる手前、右手に石標が現れます。

そのお向かいには②のJA南信州の売店が(場所はこちら)です。

長閑な佇まい。

 

道標の名が「ゴハンギョの道標」です。

この標識について「長野県公益財団法人八十二文化財団」の紹介によれば「明和八年(1771) 三州街道・豊橋街道・岐阜街道の交わる三叉路」と。

「此方なこやみち」「此方せんこう寺みち」「此方ほうらい寺みち」です。

御用商人石原藤兵衛と組頭五郎兵衛により建立されたとありました。

 

<JR飯田線飯田駅から車で1時間>とありますが、こちらから新城に出るまで1.5時間はかかるでしょう、飯田にはいずれはこの道を使って行ってみたいとは思うものの、知らない地にてそのような地名に触れるのは心細くなります。

しかし街道が交わるとなれば古のこの辺りはかなりの人が行き交って町としては繁盛していたのでしょうね。

現代に生きる者の印象からすれば「奥の細道」ですが。

 

道の奥、未知の奥、みちのく・・・私もそっちへ向かっている・・・

上記病院施設に放り込まれるならとっととおさらばするのも一考とは思うのですが、それも私にわからないこと。