血の澤の伝承 振草頭首工取水堰スグ上 本山見舞い

一昨日、当教区組長が御本山からのメッセージ(お見舞い)を持って拙寺へ。

被災した御門徒さんが圧倒的に多いのは当然ながら榛原地区のお寺でしょうが、中には掛川横須賀地区のお寺の御門徒さん宅でも被害があったといいます。

当教区当組ではその3カ寺が対象ということで。

 

拙寺では既報の通り大規模損壊が2件、あと数件の車両窓ガラスや建物への被災物衝突による損傷がありました。

屋根が吹き飛んで解体が決まっているお宅と住み続けるが瓦が吹き飛んで大規模修繕が必要となった2件にその本山からの「お見舞い」を持ってうかがいました。

その辺りの件、申し訳ないことですが住職判断ということで。

 

尚、こちらの屋根が吹き飛ばされたお宅には独り暮らしの年配の女性がいらっしゃったのですが、今は娘さんのいる長野にて暮らしています。

よって裏に住まう親族にそれを手渡しました。

今月中旬にお内仏の閉扉式を執り行うことになっています。

 

扨、設楽城周辺にある城にまつわる地名について記しましたがあの振草頭首工取水堰のスグ近く、堰の上の道の山側にその看板が立っていました。

地元の言い伝えとしてあるものですそこが「血の澤」なる地であることを主張しています。

夏場はあのザマで木々が生い茂って山肌をうかがうことはできませんが、「澤」というからには水の流れがある、あるいはあったはずでしょう。

 

しかしこちらはいわゆる水源ですよね。

その水を飲むとヤバいというところ・・・笑うところでしょう。

奥方は私に「こういう場所は特に御前はお好きです~」と苦笑していました。

戦があった場所にその手の名残はつきものですからね。

まんざら出鱈目な話ではないでしょうよ。