「こんなに快適になっていいの ? 」というくらいに朝から心地よき空気に包まれました。蚊の襲来さえなければ最高です。
「(11月頃)一気に厳冬期に・・・」との予報が出ていましたが、夏があの通りの様だったのですから、今度の冬も続けて暖かく願いたい・・・などと単純に。
天気予報、いつもの如く外してくだされ・・・。
人の体の耐性は冬という季節が滅法弱いと感じます。
齢を重ねて経年劣化した毛細血管はじめ色々の器官が悲鳴をあげてくるからでしょうね。
まぁ私の「その時」について想像すればやはり冬場ではないかと思いますね。毎年桜の頃を迎えると、「何とか生き延びることができた」という感覚になります。
そういった夏冬二択の「どちらがいいか」のバカバカしい(どうにもならないことです)話題がよく世間ではいわれますが、それは人それぞれの感覚。
私とは真逆、夏は長期体調不良につき冬場こそが活動期・・・という方が拙寺前総代の岡田氏。
冬眠ではなく「夏眠」の如くです。
ちなみに岡田氏家業は書店経営です。
大沢に出店していた「TSUTAYA」を閉めたのでしたが、数日前にお会いしたとき、私は蔦屋の「おていさん」などつまらない振りをしていました。
その「おていさん」の呼称は拙寺代々耳に慣れた語。
岡田さんの母上の名で、拙寺、私の父・祖父から深くお付き合いをさせていただいた方です。
たまたまその名が大河ドラマで重なったということ、ただそれを口にしたかっただけでした。
昨日は、川崎からはるばる境内墓碑改修工事着手前の墓前法要に立ち会うため、来訪された方がいらっしゃいました。
累代の墓を廃し、拙寺一處墓に遺骨を納める段取りになります。
比較的古い家(墓)でやはり先祖は近江から来られたグループの一になります。
拙寺との関わりも深く、またまた寂しくなりますが。
山﨑氏とはこれまであまりお話する機会がありませんでした。
その日は時間がありましたので以前そのお宅があった横町(旧丸久前)やら相良小学校入口の土塁、史料館、役場前をざっとご案内。
本通りの旧拙寺のあった辺りから根上り松を通過して海岸にて景色を見ながらしばし立ち話を。
日差しはまだ強く太平洋上の台風のせいで少々荒れ気味でしたが、風は心地よく問題なし、富士山もしっかり見えました。
山﨑氏は2010年に東工大教授を定年退職し、現名誉教授。
専門について伺えば「物理から始まって科学概論を」と。
その手の件は火宅無常、煩悩熾盛のドタバタ人生の私とは別次元のこと。
沈黙するしかありませんでした。
三重大学で教鞭を取っていた頃の学生か相良にいらっしゃるということで、そちらにも案内した次第。
私は例によって「相良は知的、優秀な方たちを輩出するスゴイ町」「のほほんとしているのは坊主(私)だけ・・・」とつい自虐の弁を吐くだけ。
扨、前出の岡田氏の幼馴染の件。
やはり2013年に拙寺累代の墓地を改め先祖の遺骨を一所墓に納めた伊藤寿男氏です。
その方に依頼して相良小学校の校歌ができたということを。
③新聞記事。
その辺りのことは今相良に住まう人、相良小学校に在籍した人でも案外知らないかも。
かなりの著名人が関わっていたのですね。
その伊藤氏は雑誌「THEMIS」の編集長です①②。
2023年7月号に戦時中拙寺に来られた学童疎開の子供達の件について、最期のページで語っていましたのでそちらを転載。
本年で91歳と聞きますが、かなりキレている感。
私でいえばあと何回冬を越さねばならない?
尚、相良小学校校歌はググればスグ。
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