正信偈 超大国の横暴 ウクライナとアラブと息子2005

昨日も好天、朝からいろいろとありました。

午後の法縁で驚かされたこと。

それはお弔いの式でしたが施主が開式前に「今日は正信偈を拝読しますか?」と。

それは勿論葬儀式の中にそのタイミングはありますが、少々困惑させられました。

「孫が正信偈を拝読したい」(経本持参)ということでしたがその正信偈は、いつものそれとは節が違うからですね。

節が違うというか普段馴染みのあるものでなくあまり耳にしない弔い用の棒読みだからです。

そもそもその少女が如何にしてそれについて拘るのかですが、その件伺えばボーイスカウトで必ずそれを拝読しているのだそう。

 

私などお寺系の寄合でしか、その言葉でさえ耳にしたことがあり

せんでしたから。

自ら声を出す事も皆で唱和することもまた大切なことですね。

それをコーチが意識してのことでしょう。

当流一番の経典、正真念佛偈(正信偈)を採用してくださるとは・・嬉しい限り。

 

さて、ご挨拶の中で「煩悩熾盛の人間(私たち)」について触れさせていただきました。

身の回りの些細な事から国同士の紛争まで皆「私」のなせる業。

変わらないのは「人のこころ」であってその心とは飽くなき強欲であるということ。

まぁ文化より経済を特に重きを置く世界のことを。昔から何ら変わっていません。

 

今それを強く思うのは国でいえば言わずもがなのことロシアとイスラエルです。

イスラエルなど兄貴のアメリカ、トランプの強権を背景に無茶苦茶の暴走の感。やり過ぎの度を越しているというか・・・

 

ガザの地上侵攻を始めたとのニュースもありました。

先般のカタールの首都ドーハを爆撃するなどやりたい放題の躰。カタールはイスラエルとハマスとの停戦交渉の仲介国ですからね。狂気の沙汰としか・・・

信頼というもの、国際法というものまで蔑ろにする暴挙です。

超大国の傲慢(煩悩熾盛)の姿、目に余ります。

ロシアとイスラエルに関わる事が忍耐と化している世界観。

秘かに両方の糸を引いたり絡めたり、それがアメリカ。

 

画像は2005年の愛知博の一コマ。

カタール・イェメンのアラブのお兄さんの明るさとウクライナのお姉さんの優しき雰囲気が思い出されました。

何故かそれらの画像が残っていましたので。

ウクライナ館にはお馴染み、ひまわりが描かれていました。

 

お祭りといえど悪くない交流ですが、何せ現状のそれときたら強烈に人多しと聞きますからね。

そういった行列に並ぶガッツは私にはもはやありません。

 

彼のシャツはドジャースでした。ミーハーな家族です。

20年前の画像ですから調子にのってアップ。