祭りいろいろ② 飯津佐和乃神社と屋台2

好天の連休最終日、昨日は境内で大工仕事を。

会館「無碍」用の御文台を完成させました。

また2つの掛け時計の置台を。

「壁に穴をあけてくれるな」の奥方からの要望アリ。

時折境内に現れる相良城遺物(本堂)にお参りに来られた方への会釈程度のご挨拶をしつつ。中には会話の弾んだ方もいらっしゃいました。

 

波津2ブロックの屋台演劇の音声が嫌でも耳に入ってきます。

祭りといえば「演歌なんだなぁ~」と妙に納得しつつ仕事に励んでいると救急車のサイレンの音が・・・

徐々に近くなってきますので、まさかこれら騒動の関係者か?・・・などと思っているとその演歌の音声が途絶え、「救急車を通しま~す!!」でした。

耳を澄ましていなくてもその内容が聞こえてきますがその救急患者とはその祭りの警備員の搬送だったよう。

その放送の内容は「熱中症で倒れて指を骨折した」とのことでした。

 

それからその手の注意事項と他所で発生した事故の件も伝えていました。

その事故とはコントロール不能となった屋台に操作担当者が巻き込まれたというもので、意識はあるものの重症の様。

後から知らされましたが、その方は拙寺御門徒さんでした。

それからその組では祭りの継続か否かで役員が集合し頭を痛めたそうです。

事故が起これば中止というのが筋だそうですが、搬送された当人から「是非に継続して欲しい」との嘆願があったことと、その方が今後「自分の為に・・・」の気持ちを継続させるのは「気の毒すぎる」ということで演劇のみ時間を短縮して行うことで決着したとのこと。

勿論、その組は屋台の運行と飲酒はストップになっています。

 

ちなみに事故に巻き込まれた方を私も存じあげていますが、その方は酒を一切口にしない方です。統制者の責任感から無理を承知で体で抑えようとしたのでしょう。

大人数での重量物運行と操作というものには必ずと言って隠れた魔物(思いもしないリスク)が潜んでいるものです。

 

夕刻、散歩を兼ねて飯津佐和乃神社へ①②。

賑やかではありますが以前に比べて格段に人少なし。

祭りの演劇といえば祖父を思い出します。毎夜浴衣と下駄で立ち見に出かけていました。

 

気が向いたら何か購入し夕食にでもと考えていましたが、まったくその気になることなし。昔はもっと色々な棚店が並んでいました。

これだけ人が少なければ商売の方もうまい具合にいかないでしょうね。

 

それから2か所の屋台の溜まり場にブラブラ散歩継続。

③は事故が無かった組で道路の運行とお囃子はアリだったよう。

④⑤は拙寺がかつてあった地、田沼時代初期頃までこちらにありました。

家康に「ここへ来い」といわれ、大沢から転進し焼失。

波津の地に移転、以後しばらくは現在の「波津」の寺地は「相良」の飛び地だったわけで。

波津寺地の整地完成と相良城破却が同時、1788年でした。

ということからお寺の建築資材の「横流し 流用」があった?

 

⑤の屋台が事故を起こしたもの。

前日に御門徒さんから「孫たちが踊るので見に来て~」のお誘いがありました。

私は祖父がかつて神社でやっていたように、道路向こう側歩道の電信柱(祖父は境内立木)の脇にて遠巻きに観劇させていただきました。

 

どちらの皆さんもご熱心なこと、驚かされました。

気が小さい私には到底無理な現場です。

墓場と誰の人影も見えない、耳にできるものは鳥の声といった山の中の城跡歩きが似合っています。