三連休中日、相良は雨がやんでまた騒々しい。
秋祭りのお囃子がずっと聞こえています。時折刻限を知らす花火の大音響もあってそれらしさを醸し出していますが、あのマイク音割れ絶叫の歌詞は今のところ、まだのよう。
関東圏から来た私どもには違和感そのもの不快な歌詞であります。
その歌詞こそ一部悪名が高い「ユネキチ ヨネキチへをこいた(へをたれた)」のアレ。
町おこしに各、歌詞と歌で盛り上げようという動きもありますが、あんなものが採用されたとしたらあまりにも見苦しく(聞き苦しい)下品に思うところです。
先日の史跡調査会の懇談でその件、地元の人からよりも外部の者が指摘してあげた方がよろしいのでは・・・と意見がありました。それが正であったとこれまでやってきた人たちからにとって難くせをつけるよう思われかねません。
その歌唱が、一杯やって高揚した人が絶叫している姿に悪気は無いのですが、その歌詞もさることながらそもそもその歌詞は「間違いである」と指摘したのが亡くなった元調査会会長兼神主の中村肇氏でした。
秋祭りは本来、米の豊作と安全・繁盛を祝い、また来年の豊作を願うものですからね。よって本来の歌詞は「米吉」(の田んぼの米)の「穂が垂れた」時節と豊年を喜び感謝するものだったと。
どちらの時点で「穂が垂れる」という、あるべき「人」の姿勢(腰が低い)とも取っていい豊作の件がバカバカしくも幼稚な言葉に変わってしまったのでしょうかね。
まぁどこかで酔っぱらいが錯誤でそれを歌い、面白がった軽率の輩がそれを正当、また錯誤し歌い繋いで来たか・・・
しかしアレを聞かされるのはもはやカンベン願いたいものです。
扨、祭りと言えば奥三河、愛知県の北設楽郡をふら付いていると「花祭、花まつり」なるものの存在を知ります。
東栄町あたりでもその名称に目がとまりましたが、この辺りでいう花まつりとは異種のようで。
とにかくこちらの祭りは歴史が古く、鎌倉から南北朝期までその発祥を遡るよう。山岳修験者によって広がったとのことです。
その実際は目撃したことはありませんが~冬季でありこの地区の山道はしばしば凍結します~地元ではかなりの盛り上がりを見せていると聞きます。特に夜間行われるとの事。
当地の如くの演芸色お楽しみの強い、酒振る舞いの無礼講の類とは違うのでしょうね。最近は子供が少なくなった(盛り上がりに欠ける)・・・と嘆く方がいらっしゃいますが、それは北設楽地区ではもっと顕著でしょうからね。
まぁ祭りの本質は「地域コミュニティの協調増幅と「現実逃避の憂さ晴らし」であり、それで全くOKなのですが。
以前からその祭りで死者が出たり、喧嘩になったりの事案を耳にしていますがそれでは本末転倒。
やはり鬱憤を晴らす事だけでなくそこに「感謝」の気持ちと自身が「自然」の中で生かされていること、そしてそれへの畏怖というものがなくては。
何事も増長のみの振る舞いには閉口させられます。
画像は北設楽の島口バス停前(場所はこちら)。
石仏たちがお迎えしてくれますが、「これは初見!!」とばかりに私が嬉しがったのは、餅様の供物。
奥方はこれを見て、マコロン、はたまたハンバーガーと。
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お祭り大好き (月曜日, 15 9月 2025 00:39)
奥三河の「花祭り」は、演ずる人のみでなく途中から見る人も舞処に立入り、全員が熱狂的になる祭りで、南信州の「霜月祭り」と共通性があります。 観る人が静かに見守る静岡県内の「祭り」と大きな相異があります。「花祭り」・「霜月祭り」とも「湯立」が重要な位置を占めています。また、「花祭り」は、2日間休むことなく演じられ、「月の花祭り」のように3日間にわたり執り行られる地区もあります。「湯囃子」では、4名の舞人が遠慮なくお湯を振りまくためずぶ濡れになる懸念もあります。
13日・14日は復興支援の一助にと、能登半島地震被災地の石川県穴水町に出掛けて帰宅したばかりです。道路は復旧工事中であり民家にはブルーシートが目立ちます。 牧之原市の復旧も容易でないと痛感しました。