語り継ぐ 息子の長男「石窟」からの脱出成功とタコ

昨日、私は殆ど一日、奥方と浜松に。

そこで息子の奥方家族と初めて対面、それから母子の入院する病院へ向かいました。

息子らは結婚式とやらも挙げず、昔ながらのそのイベントに伴うなんたらかんたらについてすべて割愛。

まぁ御対面のタイミングが無かったというわけで。

私どももそうですが、先方も「面倒な事は御免」が主旨なのでしょうが「まかせるよ~」風の緩い感覚。

今となってはそれで助かったというところですね。

まぁ私どもの時も「そんなもの」でしたから。

 

浜松滞留中、浜松天竜地区に豪雨の報せがスマホにありましたが、私どもがいた場所は雨の一粒もなし。

帰宅してからも「静岡に半端ない雨」の件を報じていましたが私が15時すぎに帰宅してからも例によって相良には降雨はなかったかと。至って静かでした。

 

扨、一夜明けて彼の子の様子窺いに病院まで赴いたわけですね。

昨晩は面会NGでしたが、たまたま8月15日の法要の翌日をフリーにしていました。

息子は病院と自宅を何度も往復し、疲れた顔を覗かせていましたが既にあの者の新しい情報を仕入れていました。

それが何より、あの「石窟」(昨日)から脱出できたとのこと。

要は自分で呼吸ができるようになったということ。

至極目出度いことで、取り敢えず・・・の感。

私にはよく理解ができませんが、「肺の洗浄が行われた」とのことで改善の傾向にあると。

 

退院についてはまだ先のこと、現状母子は離れ離れの病室です。母親は「MFICU」、子供は階の違う「NICU」。

ともに厳重に管理された病棟に入院しているわけで、とにかく母子が一緒のベット、そして退院というレベルにはまだありません。

子には胃の状況をモニターするためのチューブ、左手には点滴用?のチューブが繋がっていました。

とにかくデカイ声で泣いてくれたことには安心させられた次第。出てきたときは「一瞬間 ひと泣きして黙り・・・」だったといいますから。

まぁ「まかせる」他はありません。すべてにおいて。

15日の晩、奥方は「眠れなくなった」といいますが。

 

こういう場所に出入りすることは初めて。人数制限も時間制限もありました。

「MFICU」も「NICU」も「胎便吸引症候群」もその語すべて

 

 

所見。「生まれる」ことの難しいことよ。

そこを通過してこそ、これからの「生」が始まるのでした。

スンナリ行けばいいのですが、なかなかそうはいかないのですね。

そういった自身と他の「労」のおかげで「存在」している事を忘れてはいけませんね。

誰もが偶然奇遇の基に生かされているのでした。

 

今一つ私が知ったこと。

それが「Octopus for preemie」。

タコが赤ちゃんの呼吸をラクにする?

しかしまだ、目は見えていないよう。

 

とにかく楽観的にいきますよ。