奥方に「猛暑なんて平チャラ」などの軽口を叩きながら堂内でドタバタ。開始予定時刻の前に「参列者が揃った」ということで、それなら・・・とばかりに急いで準備にかかったわけでしたが、そういう時といえばまず間違いが多発するものです。
昨日の法要は体調不良(少々寝不足ぎみ)だったせいか、著しい誤りが頻発しました。
大いに反省して修正、再発について検討させていただきました。
しかし単純ミスについては如何せんどうにもなりません。
それこそそれが私そのものですからね。開き直るではありませんが、それはどこか抜けているからでしょう。
本堂内陣の「蒸し風呂度」は100点満点いやそれ以上でした。
対価を支払ってサウナ風呂を所望する方がいるのですから「タダで健康になれるのだ」と自ら言い聞かせてその場をやり過ごしました。
そのあとの墓参が私が初めて伺う菊川の井之上墓地ということで、運転中睡魔に襲われました。
バイパスで先を走る施主の車に追突しはしないかと不安に。
横浜の「奥の細道」氏は以前から眠れない、寝てもスグ起きるとボヤいていましたが、私はその真逆、ちょいとばかり気を詰めて集中する時間があると、そのあとときたら瞼が重くなります。
どこでも寝られるという特技かもしれませんが・・・コレもビョーキでしょうね。
息子もその「眠り病」を引き継いでいて「運転しながら寝る」などの感想を親子で論じるほどです。
あまりにもバカげた話ですが、その対応法は事前にタップリ寝ておくか、眠気に襲われたとしたら早めに車を停めて数分でも寝ることですね。
扨、先日テレビ小僧は、NHKクロ現プラスの「“私はやっていません”相次ぐ『再審無罪』の衝撃」を視聴しました。
最近になってあの手の事案(長期収監のうえ再審無罪判決)が数多出てきているわけでそれ自体に衝撃を受けますが、よくもまぁ事件の犯人当事者としてでっち上げてそれで「OK!OK!」にしちまうという無茶苦茶さ加減。
検察って何よ・・・というのが第一印象でした。
捜査機関の恣意的な方向性というか犯行に至る状況を操作しながら不都合な証拠を隠すといったところですが、一人の人生をすべてナシにしてしまうことですからね。
国民は沈黙しすぎですね。
いつ私自身が犯罪者として死刑や無期懲役刑に奉られるか、わかったものではありません。
怒りを通り過ぎて呆れるばかり。
日本の刑事制度は基本「自らは常に正義であって誤りは絶対にナイ(認めない)」というスタンスなのですね。
それでは冤罪というものが無くなりませんし、その救済というもが程遠いことになってしまいます。
番組では解説の指宿信(刑事訴訟法)さんが「刑事制度というものは過ちがつきもの」と仰っていましたが人間そのものすべてが「過ちがつきもの」というのが仏教者といっていいか私としての立場ですね。
その過ちについて認めないで突っ走ろうとする検察内部の雰囲気とそれを改めずに容認している国民がイケません。
75年以上も再審法について手を加えられず放置しているという現状はあまりにも間抜けすぎ。
国の権力者を守ろうとする憲法改正論よりも国民を守るための再審法改正の議論の方が重要。
番組の最後にノースカロライナ州の元最高裁長官の言葉を紹介していました。
●「わたしたち」が過ちを犯したのです
●速やかにただすことが「わたしたち」の責務なのです
とくにお役人やお偉い方々は「私が悪かった」と言えないようです。
要はあやまちについては反省して直ちに修正すること。
それは何事においても必要なことですね。
画像は昨日の比木のひまわり畑。浜岡での枕経の帰り途にちょいと停車して。
毎年この時期こちらについ立ち寄ります。
今年は少し小振りで少な目のよう。
ひまわりは自由と正義、公正と平等の象徴です。
日本の弁護士の記章でした。
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