聖徳太子「憲法十七条」十 国府別院居多ケ浜御上陸図

朝から将に本格的「夏」の到来を思わす空気。

この夏、かねてからその件、心に留めおいていた奈良の山歩きの決行についてこの夏の選択に躊躇しつつあります。

猛暑に関しては何とか対応できる自信ははありますが、暑さの中で集中力が落ちたところでの森、特にマダニへの対策、免疫力の低下からの発症のおそれがあります。

そしてまたクマ出没の情報です。

東北・北海道の各地でそのニュースが日々伝えられていましたが、このほど奈良県でもクマの危害を受けた人がいました。

 

北海道福島町の住宅街で駆除されたクマは二人の人命を奪っているとのことですが、体調は2m体重が200㎏超えといいます。

そのような巨大生物と山中で出くわしたとしたら・・・どうにも対応は不可能です。

体の大きさの割に俊敏のようですし、よく言われている「対面したら背中を見せず睨みつけながら徐々に後退・・・」など「できるものか!!」ですね。

その対応を以てあ奴らがスンナリ諦めてくれるかの疑心暗鬼。

何しろ万が一にもそのような恐怖は味わいたくありませんので夏の山歩き・・・やめるのが得策か。

しかし温暖化によって「冬でも冬眠しません!!」とクマさんは仰っているそうで。

 

昨日は非戦論者「高木顕明」の言葉を記しましたが今一つ仏教的、示唆に富んだ聖徳太子のことばを「十七条憲法」から。

やはり「憲法」は今と同様、庶民を抑えるものではなく、役人(政治家)どものその在り方について問うものですが「その十」は私どもにとっても重大な心のあるべき姿。

当流ご開祖が傾倒した聖徳太子の十七条憲法。

その十にはご開祖が好んで使った「凡夫」の語が見えます。

 

Wikipediaから「その10」を転記します。

「心の中で恨みに思うな。目に角を立てて怒るな。他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。

人にはそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。

他人が正しいと考えることを自分はまちがっていると考え、自分が正しいと考えることを他人はまちがっていると考える。

しかし自分がかならずしも聖者なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。

両方ともに凡夫にすぎないのである。

正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。おたがいに賢者であったり愚者であったりすることは、ちょうどみみがね〈鐶〉のどこが初めでどこが終わりだか、端のないようなものである。

 

それゆえに、他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動せよ。」

 

「なんとかファースト」とかの語が流行りものの様。

それを言いだす輩が国政に参加すれば・・・差別と瞋恚憎悪が蔓延、そして戦争(殺し-殺され 人殺しの連鎖)に繋がるのでしょうね。

 

画像は息子が5月の越後行脚の際にお参りした国府別院

居多ケ浜御上陸の図は拙寺本堂にも同じものがあります。

拙寺のものは本通り小山千代さんが六角堂参籠図と対で寄進されたもの。報恩感謝。