朝方のポツポツは許容範囲、御門徒家による会館使用葬儀の記念すべき第一回目は滞りなく終了しました。
午後からは晴れ。関東地方が梅雨明けしたとのことでした。
施設入所が長かったということでしょう、ご家族の気持ちは「とにかく自宅で・・・」ということから通夜式はご自宅仏間でした。
そちらから拙寺無碍館への搬送は拙寺世話人が貸し出した軽ワゴン車。施設から自宅への搬送も会館から葬場への移動も同様でした。
前夜の通夜後の納棺についても私がアドバイス。私はそれへの対応のためのグッズを数点持参しました。
手づくり葬儀終了後、奥方が施主にちょっとした感想を伺ったところ「やりたいように好きに出来たがやることと、わからないことが多すぎて・・・」でした。当然でしょう。
それを全部プロの葬祭屋さんのサービスにおまかせし左団扇で過ごせるのが一般的なカタチ。
今回は親戚のみで皆で協力して動く「本当の家族葬」とでもいうべきものでした。
それでも男手が多く何事もスンナリと進みました。
まぁ、人の手が足りなければ拙寺御門徒有志を呼び寄せるだけですが・・・
私の昨日の天晴れと思うところは故人から100歳「年下」となる曾孫から花を手向けられていたところ。
将に奇特な瞬間でした。「凄い!!、凄すぎる・・・」
発見した新しいテーマは・・・お文箱と骨瓶を置く台を検討しなくては。
昨日は本堂から焼香台を持ちこんで対応しました。
扨、今年の8月15日は戦後80年ということでコールの鐘を撞くという新企画を催すことを記しましたが、鐘撞だけではあまりにもお茶らけイベントで終わってしまいますので、私として、真宗寺院としてのメッセージをさらっと掲示板に。
強い思いで戦争というものに体を張って時世に抗い、その意が「不適切」とばかりに拘束されて、政府に従順忖度した宗派からも「擯斥(ひんせき)」なる僧籍削除の処断を受けて獄中死した高木顕明師の言葉を。
掲示板の「 兵戈無用 」(仏説無量寿経)ポスターの隣に。
まあ、一つの「やった感」ですが。
今はその無茶な処断の件を反省した本山は後世、僧籍復帰という名誉の回復を処しています。
しかし僧侶として「人殺しはダメ」の仏の真意というものを口にできない時代、好きな事を言えない時代、でっちあげの不実で人の自由を社会なんて・・・
そういう時代に戻らせてはイケませんよ。
好戦的な政治屋というものはその発する言葉から類推できますね。孫子の代の「良き将来」を期待するために今回の選択からそれこそ除外消去しなくてはならないのでは・・・。
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