海の方から何やらかの騒ぎの様(イベント?)が朝から夕刻過ぎまで休みなく聞こえていました。
まぁ雑音の類・・・もう少し近い場所なら・・・騒音ですね。
私どもの昨日は今年の盂蘭盆シーズンのピークか?とも思えるくらいよく動いた一日でした。
午前の法要前に前日の盂蘭盆会寺楽市で売却済みの家具類の搬出があり世話人さんらが集まっていましたが、私はただ軽トラを用意するくらい。
法要前に汗だくになれませんし今後の対応を模索しなくてはならない相談の電話も入っていました。
午前の法要のあとに午後の法要がありましたが、その午後にもう一件息子が導師となる初盆法要が会館で勤まりました。
日時指定とのことでしたが本堂が使用できずやむなく会館でお願いしたわけですが先方はむしろ「涼しくて良かった・・・」です。
それに対して今節本堂に上がる皆さん方、扇風機に吹かれつつもぐったり感満載。
奥方は「本堂に上がるのも命がけになるのでは・・・」と。
会館とは雲泥の差の環境です。
会館ホールのエアコン2機は物凄いほど効きが良く1つだけの稼働でも外の酷暑は感じませんからね。
法要と法要の間、昼すぎには本堂の取材撮影がありましたがその日の最大なるテーマは叔母の移動と通夜式の勤修でした。
本来ならば叔母には会館の棺に納めて待機してもらところですが、タイミングとして法事が重なってしまいました。よって一昨日は庫裏奥の仏間に。
そちらのエアコン冷気の下で一晩休んでもらっていました。
念の為、少々の保冷剤を脇の下、胸の上に。
昨日の段階ではそれでまったく問題なしでした。
扨、私の場合(個人レベルで御文の選択は違っていいと心得ています)、初盆法要の御文は五帖-十六(白骨)ではなく五帖―九<安心の一義>と決めています。
「心の安寧」こそ念仏・・・というところですね。
昨日は叔母の臨終前の私の叔母へ投げ掛けた言葉「南無阿弥陀仏だね」の真意をこの御文で解説してくれているよう。
「安心」(あんじん 安きこころ)それが日々の私たちのすべて。それが「南無阿弥陀仏のこころ」ということで。
五帖―九 <安心の一義>
「当流の安心の一義といふは ただ南無阿弥陀仏の六字の
こころなり
たとへば南無と帰命すれば
やがて阿弥陀仏のたすけたまへるこころなるがゆゑに
『南無』の二字は帰命のこころなり
『帰命』といふは 衆生のもろもろの雑行をすてて
阿弥陀仏 後生たすけたまへと一向にたのみたてまつるこころなるべし
このゆゑに衆生をもらさず弥陀如来のよくしろしめして たすけましますこころなり
これによりて 南無とたのむ衆生を阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆゑに
南無阿弥陀仏の六字のすがたは すなはちわれら一切衆生の平等にたすかりつるすがたなりとしらるるなり
されば他力の信心をうるといふも これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこころなり
このゆゑに一切の聖教といふも ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこころなりとおもふべきものなり
あなかしこ あなかしこ」
画像は庫裏から会館へ移動する頃の境内の様子。
軽トラの屋根に佇むキイロシロ。
ハイビスカス①もマンゴー②も絶好調。
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