昨日の盂蘭盆会7月の法要の「おはなし」のテーマは昨年に続き「認知症」。猛暑にはなかったその日の堂内は扇風機三台でまったくOKでした。
「認知症になっちゃった」がサブタイトルでしたが春先に認知症を宣告されて免許証を「剥奪」されたKさんが自身の一旦の失意と家族のおかげさまについて。
そして、その進行を遅らせるためのチャレンジ精神を話されていました。
どうやってその重症への進行を遅らせるか・・・Kさんそのものを見ていれば判ります。
表に出て自身のネガティブ状況を恥ともせずにあからさまに公言、要はすべて前向き、家に籠っていないで人とのコミュニケーションを維持し続けること。
楽しく面白く生きるということですね。
それには家族の協力が不可欠ですので、日頃から家族というものへのウェイトを高くしておかないと・・・。
そもそもの発端といえば奥さんから検診を勧められたからだそうです。頻繁に「今日は何曜日?」を聞くようになったから・・・とのことでした。
当人はまったく問題というものを感じていなかったようですが。
独りで居てはわからないこと、指摘を受けて初めて気づかされること・・・耳を傾ける・・・大切なスタンスです。
寺楽市は大層な物品を並べましたが中でも懸案の品々は終わってみれば1台のテーブルを残して殆ど捌けました。
残ったテーブルは5人がかりで運ぶような「バカ」がつきそうな大物で、購入すれば10万20万の声を遥かに超えてしまうようなもの。
いろいろな方々に声掛けしていましたが皆さん一言「置く場所がナイ」。そりゃあそうだ・・・
ちなみに「3人がかり」の比較的重量の軽いテーブルの方は椅子とセットで1万円で購入された方がいました。
やはり「バカ」が付きそうに重たい棚は1000円。
値段の設定も超イイ加減。
水琴窟と木彫りの狸は講演のKさん家族がお持ち帰りになりました。
ちなみに水琴窟は中古品ながら元は4~5万円はする品、狸は彫刻家の前島秀章作。500円で売却決定したのち狸の裏側に作者名が。
まさに「掘り出し物」と喜んでいました。
像の陶器の置物は500円とのことでしたが、こちらは私が欲しかったもので「もし残ったら・・・」と心得ていましたが朝一番で手が挙がってしまいました。まぁ私の出る幕はありませんね。
開式は10時でしたが、丁度そのころ庫裏にその日2度目の電話が。
叔母がお世話になっている施設からで「息を引き取った」との訃報でした。
Kさんのお話の最中にその報を耳にして仰天。
「早い!早すぎる!!」の感。
それが先日叔母と面会したばかりでしたから。
叔母の終末ケア、看取りについての意見交換会について記したばかり。
昨日ブログの相良海岸の青い海の図はその面談の帰りに寄り道した時。
あの際、「スグにというわけではありませんが~」と、色々な担当者から幾度もそれを前置きされて話を進められていました。よって、半年から1年は「楽勝だろう」などと奥方と調子にのっていたわけです。外出もOKとのことでしたし・・・特養に住処を変えるという選択肢もあったくらい。
叔母との面談の際も私と奥方の名を応えてくれていました。
私の手を握って「家に帰りたい」と言っていましたが、私は叔母さんに淡々と語りました・・・
「叔母さんは門徒の寺の子 南無阿弥陀仏だよ。親父(叔母の兄)もお袋も先に往って待っている。叔母さんも俺らより先に往って待ってて・・・」と叔母に向かって、手をあわせて称名。
すると叔母は沈黙して私を見つめていました。
最後に「またくるよ」というと「ありがとう」という返事はありましたが。
その晩から一切食物を口にしないようになって(翌日その旨施設より連絡あり)昨日朝も、血圧が低下傾向にあるとの連絡が。
その2時間後の出来事だったわけです。
私はこれこそが理想的な臨終の姿であると思いました。
叔母の「即決」だったのでしょう、引金を引いたのは私か。
しかしそんなことがコントロールできるの?
現状、臨終の床に坊さんを呼んで念仏させるといった試みは無いに等しいですからね。まさに古い形式を踏襲したような。
たまたま双方とも「お寺の子」だっただけですが。
また92年生き抜き今、体力が衰弱し最期を迎えようとする者に何を「ガンバレ」などと言えるものでしょう。
いいのです。
南無阿弥陀仏が・・・その言葉にハッと気づいたのでしょうね。
画像は叔母を連れ戻って本堂阿弥陀さんに報告の図。
そして寺楽市展示物の一部。
プライスはすべて「なんちゃって」。
実際の象の陶器の販売価格は500円でした。
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お祭り大好き (日曜日, 13 7月 2025 18:07)
叔母様のご逝去お悔やみ申しあげます。 80歳を超えている異国の今井崇記さんの健康を祈念します。