東柳生バス停 古城山 余計な思い付きとトラブル

天気予報の通り、当地でも少しばかり雨が降りました。

関東のドカ雨とは違ってまぁほんのお湿り程度。

朝方には路面は乾いていました。

翌朝の東京の気温は前の日から10℃近く下がったようですが境内はそれほどの涼しさは感じませんでした。

 

朝方は会館工事用の電源が撤去されてから放置していた敷石の敷きなおし作業。土嚢袋が劣化して破れ、無意味な作業もありましたがうまいこと完了。

 

朝一は魚才さんから「あんぱんが食べたい」との電話がありました。私は「お安い御用」とばかりに昼前に2個購入して届けました。

魚才さんの家とパン屋とは目と鼻の先の距離ですが、車椅子で向かうことは全ての事が難儀であることは承知するところです。

ついでに「お願いがあると」のことで部屋まで。

テーマは二つ。

①ゴミ取り用の粘着ロールを「ひと巻捲る」

②トイレのサッシ窓の網戸を「閉める」・・・でした。

 

それほど私どもが難なく普通になしている生活の一一、それが難しいテーマとなること、そういう人が居ること・・・魚才さんがいなければわからなかったことばかりです。まさに弥陀の光明。

どなたも健常の時はそういうことが判りにくい。

その時になって初めて気づくものですね。

 

午後からは盂蘭盆会法要に急きょ寺楽市を開催することになったことから、総代さんらを引き連れて再度魚才さんへ。

8月末頃に魚才さん宅の解体工事が始まるようで今度は2階から楽市用に提供いただいた重量のある高価そうなテーブルを必死の形相と溢れ出る汗をぬぐいながら皆でおろしました。

 

天気予報では夜間の雨は無さそうですが、それらを境内に放置したまま解散・・・ぐったりで何もする気になれませんでした。

皆さんもお寺の役員としてこのようなリスキーな肉体労働をさせられることをどなたが想像できたでしょう。

足が痛い、腰が痛い・・・の不調を抱えた年頃のみなさんです。

お寺の、私のお遊びにお付き合いしていただいて申し訳なく有難く・・・

 

扨、柳生城について記しましたがそれ以前の古城の方へ。

城郭大系から。

柳生古城(ふるしろ)

「柳生古城は柳生城の北方600mの山上にある。

北の笠置に抜ける南北路と狭川・阪原・柳生・邑地を結ぶ東西路の交差点を眼下に見おろす要衝の地を占める。

柳生城が柳生郷を支配するための居城であるのに対して、こちらはもっと広域の戦略の一環を担う番城の性格を示している。

天文十三年(1544)に筒井勢の討伐を受けた時の記事で、本城よりさきに落とされた外城として見えるのがこの城かもしれない。」

 

一昨日、青空に喜んで奥方と相良海岸に寄り道した図。

ついついうっかり駐車場の端の砂場に入り込んでしまってスタック。軽自動車の二駆であることを忘れていました。

運転を奥方に、私は後方でここでもヘロヘロになって車を押して脱出することができました。

まぁ余計で無意味な疲れを蓄積させています。

まぁ自宅まで歩く手間はありますが、牽引ロープと四駆で対応するという楽観、どおってことないトラブルではありましたが。

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    お祭り大好き (土曜日, 12 7月 2025 08:39)

    魚才さんの現況を知り健康の有難みを再認識しました。 小山昭さんの講演は1日違いで拝聴出来ず残念です。 昨11日は久しぶりに百花稲荷神社の相良城石垣石を眺めたあと、以前お尋ねした笠名の宝篋印塔を訪れました。 案内表示がなく場所の特定に苦労しましたが、隣のお堂にブルーシートが覆ってあったためわかりました。 想像よりも小さかったのが意外です。 更に釣月院に足を伸ばして、運よくご住職に会うことが出来て本堂と千体仏を拝観しました。 草刈りは見送りましたが、牧之原市の歴史知識を少し広げて有益な夏の一日となりました。