遊びにgo 奈良名所 龍田詣 耕書堂 ハッピー月間七月

午前の少々の時間は大工仕事。

相変わらず真夏の直射日光と真っ青な空は見えませんでしたが湿度と温度が高く、汗をあまりかかない私でも、昼前にはシャツを脱ぎ捨てて着替えるくらいでした。

 

お昼は奥方が金谷の景色のイイ気の利いたお店でランチを食べさせてくれるというのでその運転手。

前日の上出来の結果をいただいたことへのちょっとしたご褒美ですね。

本格的な病とのおつきあい生活が始まるともなれば、双方生活が一変してしまいますので、まぁお祝いのランチです。

 

先日来、免許証の次の書き換えが「5年後」ということでその

「5年の生存」が私の当面のテーマになっていました。

例の「そこまで生きながらえるつもりか・・・図々しい・・・」ですね。

その結果次第ではスグにでも本格的な息子への各移行作業に着手しなくてはならないほどでした(まずは本山での息子の住職研修の段どり・・・)

 

ということで人間の命のことなどはまったくわからないことではありますが、その診断結果により、まずはその免許更新の「5年後」については何とか目途がたった余裕というようなものが生れたのでした。

 

この件、今私が想うお偉い方々の終焉というものが見届けられるかも・・・という期待の発現ありますね。

それが習近平72歳、プーチン73歳、トランプ79歳の「その時」とその後の中国、ロシア、米国の様を見届けられるかという期待。

ひょっとして健康不安説など見え隠れする皆さん、私の「5年生存」以上に怪しいのかも知れません。

どこからか鉄砲玉(弾)が飛んでくるかも知れず。

 

御一同、独裁意識が強い方々で、そういう「人」というものはまず齢を重ねていけば他者というものを一切信用できなくなるもので、しばしば「臣下」「配下」の者たちを失脚させて首の入れ替えをするものです。それ歴史でもあります。

そんな時の首領さまというものはまず「横領」「着服」といった曖昧かつ周囲が納得する理由をあげて処断します(内実はおそらくそれとは違うものでしょうね)。

 

要はそれが出現したとすれば如何にも終末的であるということです。

中国とロシアの御仁にはその傾向が現れだしました。

米国の方も財力をもって支援していた「家臣」がこのほど反目の狼煙をあげています。面白い。実に・・・

 

5年以内にそれら組織の瓦解と終末をこの目で見てみたい。

そんな楽しみが増えたのでした。

欲を言えばあの若き北の白馬の御仁の方も・・・如何にも私以上に不健康そうです・・・。

私は煩悩の塊、欲深く自らのひとまずの延命「与生」にお墨付きを頂いた今、その件期待として頭に思い浮かべています。

 

人には寿命そして運・不運があります。それは当たり前のこと。

他者の死を望んでいるワケではありませんが、ただ色々と見届けたい。

そしてより人生を面白くするには私がただ健康にして与えられた命を生きながらえるだけです・・・ただしそれも確証はないところがミソ。

まぁ5年は楽しみたいものですね。

 

とにかく嬉しいこの7月。私の誕生月でもあるだけに、この度

思いがけない「普通」というお達しをいただいてお気楽気分。

ただし誕生日を祝うなどの気持にはあらず。

正月に一つ齢を重ねるカウント方法が好みですしそれも一休さんは「目出度くない」ことを示唆していました。また別に「ちうくらい・・・」の表現もありましたね。

 

画像は先日のM氏所有書籍の他一つ。

耕書堂の「龍田詣」。

私の好きな奈良のカンタンな名所案内ですね。

それを江戸で手にした人は「行ってみたい」の願望が。

元気でないと奈良にも行けませんよ。