曇天の空から一転、意表を突く晴れ間と湿潤満点の気温上昇を招きました。梅雨の晴れ間というヤツでしょうが、気持ちとしては「そのまま梅雨明けしちまえ~」。
インドと違って「水不足」なんてどこ吹く風・・・油断ならぬ水断か・・・
法事の施主の奥さんは「やはり故人は晴れ女」と前日の不安(雨が酷かったら墓参は中止)の一掃を喜んでいました。
施主は以前電動鋸で手に怪我をされて包帯ぐるぐるだったことを思いだし、その後の治癒と後遺症について伺ってみました。
私もDIYに電動鋸の使用は頻繁、ハンディタイプにスライド丸鋸に卓上鋸まで・・・特にその卓上鋸の使用の際のちょっとした恐怖は増幅、毎度何か「やらかすのでは・・・」という不安があるもの。
私の知るプロ職人(建具屋・大工)のその手の事故について都合3名承知していますがいつもその方々の痛々しい包帯の様を思い出します。
ということでその時の状況について施主に伺ってみました。
すると第一声「(慣れによって)甘く見ていた(うっかり)」と。
要はいつも私も陥っている気の緩みですね。注意力が散漫というか「大丈夫だろう」の慢心。
何をするにしろ自分の心・・・大丈夫・・・ほどいい加減なものはなし。
ひょっとして小さい品物の工作で刃に引っ張られたのでは?というと「まさに」と。
注意していても「やらかす」場面ですね。
夕刻の法縁のあと、帰宅。夏至が近いせいでまだ日が差していましたので小堤山にちらっと散策。
するとミニゴールを持ち出してサッカーに興じている若者たちが。そんな時以前なら「混ぜて~」と飛び込んだものですが、「まず恥をかくだけ」だろうなどとその無様を想像していると飛び交う声が日本語に非ず。
そしてその上の遊具のある場所、駐車場周辺にも何人かの人が屯していましたがその全員が日本語の会話に非ず。
日没前とはいえあの暑さの中、出歩く人は郷土の人は皆無の様。あの場には50人近くの人がいましたが、そのうち私が唯一日本語を喋る人間だったのかも。
相良も凄いことになっていた・・・
扨、以前金沢の東山、卯辰山(または)という地をうろつきましたがこちらには前田時代に集約されたという夥しい数の寺々が・・・
全部廻るなど無謀なことですので、たまたま門を潜った永久寺を(場所はこちら)。
この山麓には53カ寺が連なるといいます。
コメントをお書きください