上陸の地「居多ヶ浜」と春日山城はごく近い

一昨晩の雨上がり、新潟の友人の結婚式から息子が帰宅しました。新潟の土産ではなく途中の長野の品(そば)ばかりでしたがまぁ無難なところですね。

賞味期限も3カ月ほどあって、それなら適当なところで食せます。

 

かつての同僚、知った顔が全部で8人ほど集結したと。二次会にてそれぞれの近況を報告しあったといいます。

それはそれは全てがお寺の子となれば、話題はそれぞれ境遇の共通性もあって話が盛り上がることでしょう。

 

彼の人脈の広さに驚かされましたが、私には真似のできないところ。天晴れです。

「同じ釜の飯」とはいいますが、まさにその通り、その頃の年代(20代前後)限定の傾向なのでしょうが意外と長続きするもので。

因みに私の学生時代の友人などここ数十年、再会したことはありません。

 

そういった友人たちのネットワークから適宜各ピンチヒッターとして法要等に招へいされるのでしょうね。

まさに「持つべきものは・・・」。

 

私は「折角の新潟行脚を活用しないでどうする」の嫌味をもって送り出していました。

すると息子の友人の修士課程まで行ったという相方(岩手遠野市から)の影響だと思いますが私の想像を超えた時間の過ごし方をしている様が。

 

結婚式場は新潟といっても上越市。

それを聞いた私はプレッシャーを掛ける意で「訪れた地の画像を寄越しやがれ~」とメールすると4日の晩にその日のここぞといった画像を送ってきました。

 

5日の式にあわせて前乗りしていた彼らが一番に向かった場所は

なんと「居多ヶ浜」。真宗人として知らぬものはないビーチの名が飛び込んできました。

勿論私も未達の地です。

その画像を見て奥方とこの成長の様を大いに喜びました。

 

式の翌日は天候不順となりましたがそれでも向かったのが春日山城だったと。「居多ヶ浜」とはごく近い場所ですね。

そちらに登城した後に帰宅したといいます。

途中雨に降られ売店で傘を購入し尚も登城したとのこと。

「よって画像は無いので悪しからず」でした。

 

やはり私の未登城の春日山城に訪れて私の地団太の様を引き出すところなど、まったくヤラれましたね。

 

画像はご開祖が上陸した「居多ヶ浜」。4日5日は珍しく全国的に晴れ渡っていました。

 

⑧は春日山城駐車場近くの春日山神社。

⑨⑩は雨の春日山城「二ノ丸か三の丸・・・」私なら雨となれば退却ですが・・・いづれは好天の日本海に逢いに行きたいものです。