七里の渡 復元蟠龍櫓の中に松平定信 - daitakuji 大澤寺 墓場放浪記

七里の渡 復元蟠龍櫓の中に松平定信

昨日は「外を歩けば汗、一枚脱いで本堂に入れば寒い」というのが東京からお参りに来た方々の弁。堂内法要にて。

その件、承知していましたので一昨日同様ストーブに火を入れてスタンバイしていました。

また昼夜の寒暖差も激しく、昨日は陽気に誘われて数鉢のハイビスカスを外に出していましたが、夜間から早朝の低温予報を知り慌てて室内に取り込みました。

日向は春とあっても日影と夜間はまだまだ冬ですね。

 

法要が終わってから(親戚の方が入所する)近くの施設へ行かれるとのことで「私も・・・」と図々しく同行させていただきました。

その方は私が相良の地でお世話になる頃から存じ上げる方で以前は拙寺バス遠足にもお付き合いしていただいた方です。

そちらへの入所について耳にしていたもののなかなか訪問する機会が無かった、というか踏ん切りがつかなかったのでした。

 

コロナ禍以来、部外者の来訪に施設側のガードはきつく、他の方の元を尋ねるにあたり何度か門前払いにあっていましたので。

そして今回は親戚の面会であれば一緒に潜り込めると踏んだのでした。

 

お元気な姿を拝見しましたが、私がマスクを外して「だーれだ?」と言うと即座に「おっさま~」(当地の年配者の坊さんへの敬称)と言ってニッコリ。

足については大分衰えというものを窺えましたがお話はしっかりできてこの機縁、有難く思った次第。

別れ際に「また来ま~す」とありふれた言葉で挨拶をすると・・・

「相良に帰りたいよ」と返ってきました。

その施設は相良にありますのでそれは「家に帰りたい」の意ですね。

そのホームについてはその方からすれば(自分の家ではない)「遠隔地」を感じていたのでしょう。一人暮らしができなくなって施設にお世話になることはやむを得ないことですが・・・難しいテーマ。

 

扨、先日の桑名七里の渡の続き。

広い河川に面したこの湊には画像の如くの頑丈な防潮堤は以前はなかったのは当たり前の事。

天候の激変について予報ができるはずもなく、海上交通はイチかバチかだったのでしょうね。

 

ブラタモリで出た蟠龍櫓の復元については三代広重の「東海道名所改正道中記」にある、この地を描いた浮世絵の図を参考にしたとのこと。

櫓の中はちょっとした展示場になっています。

松平定信の画像も・・・定信は隠居後に白河から桑名に。

 

 

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