旧黒野別院脇 本願寺派 専長寺 明善寺

首都圏に降雪予報があってやきもき。

2日夕刻に千葉印旛沼近くで通夜と翌日の葬儀に息子が行くことになっていますが、「よりによって・・・」の溜息。

2日は拙寺にて法要があり、また3日午前は本堂内部を見学に来られる皆さんがいらっしゃいます。

以前からの約束があって私が不在になるわけにはいきませんでした。

 

そして息子の言説を聞いていると如何にも甘っちょろい。

雪の怖さを知らないということですが、それがどうしても歯がゆいのです。

大和の祖母の家で前泊し「早く出るので大丈夫」と言いますが、私は首都高なんて閉鎖されているかも知れないし、自分は大丈夫でも他者(他車)の失策によって「道路は1mmも動かなくなる」と脅しますがどこ吹く風の躰。

特にトレーラーの雪上走行力は貧弱そのもので、それらが前方でスタックしたり走行不能になれば後ろを走る車も身動きがとれなくなりますからね。

それでいて彼の車のタイヤはスタッドレスではなく、チェーンも持っていませんからね。

 

「辛い思いをするのもいいが、通夜に遅刻するのは絶対NGだ」と告げていますが、経験不足、無知の輩という者はこれまでたまたま運よく生かされてきたということがわからない。

私は前々乗り込みの2連泊を勧めていましたが、どうなることやら。天にまかせる他はないのですが。

南岸低気圧がずっと南を通過してくれれば有難い。

 

印旛沼といえば田沼意次が手掛けようとした地で、私も機会が合えば是非にといった地。周辺には城跡たちもあるようですからね。

 

扨、黒野別院跡の本願寺派光順寺について昨日記しましたがこちらには他に2件の本願寺派のお寺がありました。

昨日は光順寺の石標の「加藤」について不詳ながら記していましたがこちら専長寺は黒野城主の加藤貞泰がこの地に移転させたといいますので、この辺りの本願寺系のお寺は加藤氏の息がかかっていた感ありますね。

 

一方の明善寺は黒野小学校の前身といわれる寺子屋があったといいますが、創建は拙寺の創建今井権七と同じ大坂本願寺で顕如さんの下で戦働きをしていたことがうかがわれます。同じ釜の飯といったところか。