洞泉寺墓域 土塁手前 病没娼妓石橋屋の墓碑

今年初めての本堂での法要。

その日の法要を承る際奥方は「本当にその日でいいんですね・・・」と念を押したそう。

「後悔しても知らないぞ !」とは言いませんが、寒すぎる空間に長時間滞留することが予想できるところですので、一応。

「大丈夫」とのことでした。 

すると終了後「よぉ~く警告の意味が理解できたので、次回は十二月に・・・」とのことでした。

 

昨日の本堂は今シーズンの最低気温の3℃。

読経の吐く息も白かったですが、高い天井と広い堂内でいくらストーブを複数用意したとしてもその寒さは痛みにも感じ、流れる時間は苦しく長かったのではないでしょうか。

私の手指の感覚もありませんでした。

 

テラスでは熱帯植物によっては簡易温室をさらに用意してダブルで覆って対応していますが、参列者数もありますが、皆さんの天井を今一つ覆うテント状のものが用意できればもう少しばかり温かくできるかも知れません。

しかし光熱費を考えればこの時節の法要はパスしていただくのが有難い。まぁそういうワケにはいかないのでしょうね。

 

扨、昨日の源九郎稲荷入口に洞泉寺の入口が隣接していますが、その境内は墓域も広く稲荷とは格別に大きいものがあります。

勿論墓域をブラつかせていただきましたが立ち止まって合掌したのが「病没娼妓」なる碑文のある塔です。

「石橋屋」の屋号がありました(こちら⑦図に)。

亡くなると出身地実家には一報は入れるのでしょうが各遊郭単位で弔いを出したのでしょうね。

親が一旦手放した娘というものは永遠の別れを意味していたのかも知れません。

 

過酷な就労で体を壊して亡くなることなど日常茶飯事だったのでしょう。無茶な時代でした。