郡山洞泉寺町旧川本桜遊郭へ 木造三階建 寺と寺の間

比較的強めの雨の翌日は冷たい風が吹きまくり。

あの様ではあっという間に乾燥注意報に逆戻りでしょうね。

 

通夜・葬儀は施主より脇僧として息子を招へいいただきました。よってここぞとばかりに存分に働いてもらいました。

たとえば調声にキン、は勿論冒頭「先請伽陀」四句も。

二人以上の場合伽陀の調声をする伽陀役を決めますが、それは最初の七言を拝読します。

 

ところが「今日は・・・」ということで事前にその旨を伝え、全て(四句)を彼に謳ってもらうことをさらっと了解いただきました。

以前は「伽陀は省略しよう」などと言っていた小僧が今はうまいことやります。

勿論私は聞いているだけ。

 

終了後息子が小学生時代に同伴させた法縁の施主家族の方に「どんなもんでしょう・・・」と問い合わせると「スバラシイ」と。

そう聞けばそう応えてくれるでものでしょうが・・・と苦笑いしていると何よりも後継者が成長している様がイイのだと。

なるほど、ありがた山。

 

扨、郡山の火見櫓からごく近い場所に旧川本桜遊郭があります。

生まれて初めて「旧」とはいえ遊郭の門を潜りました。

大正十三年に建築された建屋は木造3階建て、市が本腰をあげて川本家より買い上げて整備をして現状公開しています。

今は登録有形文化財指定。

 

当地の遊郭は大正期には十七件もあって特に北陸方面から搔き集められた女子たちが詰めていたとのこと。

元々この地の遊郭の最初は江戸初期といいますので完全にその業態が消滅する昭和33年までの間多くの女たちの「気の毒」の場になったことでしょう。

 

家族を養うため、親の借金の返済のため「売られてきた」といったら語弊があるかもしれませんが、そこにいるのは決して女たちの本意ではなかったでしょう。

 

細い格子の窓は如何にもオシャレですが、きっと脱出防止のためなのでしょうね(場所はこちら)。

⑤は帳場。⑪が顔見世と待機スペース。

彼女たちそれぞれが自分の部屋で生活し、客がきまればその部屋に案内⑨⑩。部屋と部屋の仕切り壁の厚さは決して厚いものではありません。そして広かったり狭かったり・・・格差があったのでしょうね。

ニ階が彼女たちの住+就労スペースで三階が主人家族の住む場所とのこと。